障害者たちの反乱そして国会へ
■障害者が国政に打って出る理由 「障害者が幸せな社会はみんなが生きやすい社会」
▶︎障害者が我慢させられてきた法律を変える
舩後さんはまず、立候補の理由をこう述べた。「僕は今回の出馬に文字通り命をかけています。僕がなぜ立候補しようと思ったのか。それは僕と同じ苦しみを障害者の仲間にさせたくないからです」
「国会のみなさんは現場に通用しない穴ぼこだらけの法律があることを知りません。そのひとつが建築基準法です。建築基準法には国民の生命、健康、財産のためとうたわれています」その法律には様々な問題があるとして、こう語った。
「現場感覚のある本当の意味での法律の必要性を理解してもらいたい。障害者が今まで我慢させられてきた、あてがわれてきた法律からはおさらばです」「もっと障害者が自由になるんだ。国会議員のみなさんも親友のみなさんもいずれ歳をとり、障害者となります。僕たちが関わり、作る制度が本物になるようにみなさん、お力をお貸しください」そして舩後さんが訴えたのは、以下のような経験だ。
「車いすのみなさんはユニバーサルデザインだと言って、デザイン性を重視した点字ブロックにタイヤを取られ、横転しそうになったことはありませんか? 僕はあります」「車いすはエレベーターにと言われ、大型の車いすが入れなかったことはありませんか? 僕はあります」「障害者用のトイレに入って、戸が閉められなかったことはありませんか? 僕はあります」「仲間とレストランに入って一緒にテーブルにつけたことはありますか? 僕はありません」
「ちょっと考えただけでも穴ぼこだらけです。こんな簡単なことがわからないのです。誰がこんな片手落ちのことにOKを出すのでしょうか?国の基準とやらではないでしょうか? この建築基準法が時には悲劇を生み出していることを知ってください」
▶︎自立生活を送る上での壁
さらに、障害者が暮らす施設では入浴時間を減らされたり、外出での門限が午後3時に定められていたりするなどの様々な差別があったことを明かした。そして、施設からは病気が進行し意思疎通できなくなったら退去するようにとも言われ、一人暮らしをすることを決めた舩後さん。ヘルパー派遣を受けるために障害者福祉サービスを申請したところ、今度は行政の壁に阻まれる。
「市役所からは『すぐには(公的な介護支給は)出ませんよ。3ヶ月ぐらいかかります』と言われました。みなさん、おかしいと思いませんか? 一般的に人工呼吸器をつけた人が、3ヶ月間、自費でヘルパーをお願いすることができると思うでしょうか?」
「そもそも自立支援とは障害者が自立した生活を送るための制度です。施設を出て、一人暮らしを始めた時点で適応されなければ生活はできません。この制度をめぐって、障害福祉サービスの利用時間を確保するために裁判を起こしているケースも多々あります」
「でも裁判を起こさないと獲得できないということはあってはいけないことだと思います。結局、僕は(公的な介護の申請が通るまでの期間)180万円を自費で払いました。障害者自立支援法とは、障害者の日常生活、および社会で自立を目指す法律のはずです」しかも、もし当選して政治活動を始めたとしたら、現在利用している障害福祉サービスが受けられなくなる懸念も語った。「なぜなら自立支援法(現在は障害者総合支援法)と言いながら、職場にヘルパーがついていくことは禁じられているからです。障害者は働くなと言うことでしょうか? この部分は絶対に変えなければいけません」
「障害者が仕事を持つことこそ、自立支援だと思います。それなのに、歩けない人のお手伝いがなぜ法律で禁じられているのか。全身麻痺でも働ける障害者はいます。能力はあっても国の法律で制限されても良いのでしょうか?」さらに、慢性的なヘルパー不足があることを指摘し、介護職の待遇改善をしていくことを訴え、5年前に松戸市議選に立候補した時のスローガンを掲げて締めくくった。
「強みは障害者。だから気づけることがある。僕が議員になったら、全難病患者、障害者を幸せにするために働きます。全難病患者、障害者が幸せな社会はみんなが生きやすい社会です。人の価値が生産性で測られない社会を目指します」
▶︎木村英子氏(きむら えいこ)参議院議員
生年月日 1965年5月11日(54
出生地 神奈川県横浜市
出身校 神奈川県立平塚養護学校高等部/前職 全都在宅障害者の保障を考える会代表/全国公的介護保障要求者組合書記長/所属政党 れいわ新選組
日本の旗/選挙区 比例区/当選回数 1回/全都在宅障害者の保障を考える会代表、全国公的介護保障要求者組合書記長、自立ステーションつばさ事務局長。
0歳時の事故により、重度の身体障害を持つ。脳性麻痺とも診断され、移動手段の電動車椅子を操作する右手以外、体はほとんど動かない。
経歴 : 1965年(昭和40年)、神奈川県横浜市で生まれる。生後8か月の時、歩行器ごと玄関から落下、頸椎を損傷し、重度の身体障害を負う。
1972年、「ゆうかり園」に入所。施設に付属した養護学校に通学。1984年、神奈川県立平塚養護学校高等部を卒業。家族による介護、施設での生活を拒否し、19歳で東京都国立市にて自立生活を始める。1994年(平成6年)、東京都多摩市にて「自立ステーションつばさ」を設立。障害者運動、自立支援に携わる。
2019年(令和元年)7月21日執行の第25回参議院議員通常選挙において、山本太郎が結党したれいわ新選組公認で比例区特定枠2位にて立候補。れいわ新選組が比例区で2議席を獲得したため、初当選を果たした
▶︎船後靖彦氏 参議院議員(れいわ所属)
ALS(筋萎縮性側索硬化症)という重度の障害者でありながら、船後靖彦さんは、山本太郎氏が代表を務める「れいわ新選組」から、参議院議員選挙に立候補。ALS(筋萎縮性側索硬化症)とは、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気です。しかし、筋肉そのものの病気ではなく、筋肉を動かし、かつ運動をつかさどる神経(運動ニューロン)というものだけが障害をうけるそうです。その結果、脳から「手足を動かせ」という命令が伝わらなくなることにより、力が弱くなり、筋肉がやせていきます。
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