3.11以後の建築・part2

■使い手とつくる

 建築家は住宅を設計する際、使い手とじっくり話し合いながら設計を進めます。ところが設計の対象が公民館や図書館や美術館など公共的な施設になると、急に使い手と共に考えることが少なくなります。使い手が不特定多数になるため、どのように意見を集約すればいいのかが分からなくなるのです。その結果、市長や市役所の担当者など、ごく一部の人たちと話し合いながら設計を進めることになります。

 しかし、最近は公共施設の設計でも使い手と共に考えようという動きが広まりつつあります。そのほうが使い手の意見が反映された建築物になりますし、愛着も高まります。その結果、完成後に積極的に活用してもらえるからです。その時、不特定多数の使い手の意見をどう集約するのかについて工夫が必要になります。話し合いを何度も繰り返して空間を少しずつ変化させたり、要望に応じた空間をすべて模型で示してみたり、コミュニティデザイナーと協働して使い手の意見を集約したり、SNSなどを駆使して潜在的な意見を引き出したりと、建築家ならではの発想によって意見を設計に反映させていくのです。この章では、そうした公共施設の設計を使い手と共に考えている建築家の取り組みを紹介します。(山崎亮)


▶︎一年に人口の7倍の来館者があるホール

 秋田県の由利本荘市に、2011年12月竣工した「文化交流館カダーレ(以下カグーレ)」は、しつこいと思われるほどワークショップを繰り返してつくった市民ホールです。由利本荘市は、秋田県南部にある日本激こ面した人口約8万5千人の地方都市です。鉄道で行くと東京から5時間ほど、秋田からも1時間ほどかかる、交通の不便な所にあります。1年のうち4か月間は雪に閉ざされ人口減少と高齢化にも悩まされています。

 私は、プロポーザル・コンペで設計者に選ばれた後、まずワークショップを開くことから、カダーレの設計を始めました。そのプロセスは割愛しますが、結果としては、人口8万5千人のまちで1年間に60万人の来館者数を数える、自他ともに認める「地域に愛される建物」になりました。

 その成功の理由は、ワークショップを経て、「催しのある時にだけ来る市民ホールではなく、いろいろな人がいろいろな時に、いろいろな用途で使える、多機能コンパクト型の施設にすることがよい」と分かり、そのように設計したからです。

 たとえば、館内には特産品だけでな〈、日常的な食べ物も売っている物産館が入っていて、そこで買ったお弁当やお酒を館内の無料スペースで楽しむことができます。高校生たちは、ここで2〜300円の食べ物を買って友達とおしゃべりしながら汽車の時間を待ちます。図書館や市役所の出先機関も併設されていますので、日常的にこの建物を利用する人も少なくありません。

 その他にも、みんなで料理をしたり、囲碁や将棋のゲームが楽しめたりもしますし、ファミリーサポートゾーンには、地域の人たちと何日も秋田の評判の良い施設を見て回ってつくった子どもの溜まり場所があります。ここには授乳室やトイレもあり、また子どもがいない時は大人が休憩室として使えます。屋外テラスに面した創作テラスでは染色や編み物ができるようになっています。屋外テラスでは家族やご老人方と食事をすることもできます。これによって今より少しコミュニケーションのあった時代へと戻ることができることでしょう。また和室や茶室など、和の文化や楽しみを味わうための空間もあります。


 筆者が現在携わっている、古い駅舎の改修を核とした「延岡駅周辺整備計画」を立てるにあたって、「駅+市民活動」というアイデアを提唱したのは、コミュニティデザイナーの山崎亮さんでした。駅(前)の再開発と言うとすぐに「駅ビルを建てて物販を誘致する」という発想になりがちですが、山崎さんは「駅に市民活動を展開できる場を点在させて、市民活動を集めるだけでも駅は楽しくなるのではないか。そうして駅に賑わいが生まれれば、駅前の商店(街)も活性化し、一石二鳥になるのではないか」と提案したのです。その提案に延岡の市民や市役所職員が共感したことで、「駅+市民活動」というコンセプトでこの計画は動き出しました。

 筆者は、プロポーザル・コンペの結果、このコンセプトを汲み取ったうえで建築のアイデアやプランを提案する「デザイン監修者」として、この計画に参加することになりました。つまり、山崎さんとの二人三脚で、「居心地のよいざわめきを持つ駅」をつくりだすことがスタートしたのです。その後、「駅+市民活動」の具体的な姿を探るべく、建物の面積も、事業スキームも決まっていないタイミングで、市民ワークショップが始まりました。ワークショップ(以下WS)開催の条件としては(すくなくとも建設関係者としては)はなはだ心もとない状況です。しかしながら、WS運営を担う山崎さんの興味は駅そのものというよりは駅周辺のまちの将来にあり、そんなことは気にしない様子でした。「駅周辺で市民活動するってどう思う?」という素朴な問い掛けからスタートし、さらに「建物に関する直接的な話は禁止」などというアクロバティツクなルールを、さらりと参加者と共有してしまいました。プロジェクトそのものの盛り上がりの継続という点で重要かと思います。

▶︎ユーザーと事業者の主客が入れ替わる

 駅周辺の活動は他にも広がっています。WSでの市民の盛り上がりに触発された商店街の若い店主の集まリが、駅前広場の活用を考えるべく大きな音楽イベントを企画したり、大分のタウンマネージャーの牧昭市さんに声を掛けて勉強会を開いたりしています。さらに、その内のひとりがエリアマネージャーとして名乗りをあげるところまで来ています。こうした社会実験などの成果は、これから本格的に始まる具体的な空間検討に反映する貴重な要素になります。

 このように本プロジェクトは、山崎さんのようなコミュニティデザイン専門家チームと、筆者が参加している土木・建築の専門家チームがあり、そこに市民や市民団体、商店街などの主体が加わって、つかず離れず連携していることが特徴です。


▶︎なぜ、今シェアハウスなのか。

 シェアハウスに限らず、変化する社会の中で、「シェア」という考え方の重要性は日々増している。

 その大きな要因のひとつは、コミュニティの変化である。高度経済成長時代に、日本全体が成長と量産のための機械のようにつくり替えられ、生産の場としての都市と、ベッドタウンとしての郊外を生み出した。結果、コミュニティは会社と家庭だけになり、古い農村的なコミュニティは薄れていったのである。

 現在ではこの設定にも矛盾が生まれている。会社では終身雇用が薄れ、家庭でもは高齢化やひとり暮らしが増える中で、どちらにもかつてのようなコミュニティの強さはなくなりつつある。こうした中で、農村型コミュニティでもなく、会社でも家庭でもない新しい繋がりが求められつつあるのだ。

 成長時代の合理性の破綻は、研究・開発・創造のための組織体系においても起こっている。かつて企業や大学といった組織に求められていたのは、成長を加速させる分業体制であった。それぞれの分野は、より精密にひとつのことを突き詰めるために細分化されていった。しかし近年では、そうしたツリー状の組織体系では乗り切れないような局面が起こり、分野を横断するイノベーションがビジネスを生み出すようになっている。この時、クリエイションに求められるのは、インフォーマルなものまで含めたコミュニケーションの促進だ。ウェブの発達も、少なからず変化を生み出している。成長期に肥大化した都市は、首都圏を除き人口減少と共に縮退に転じた。都市の密度や大きさが小さくなれば、中心部の人口集積地において商業が担ってきた賑わいも小さくなる。さらに近年では、ウェブで何でも購入できるようになり、残された集積地の役割も、商業だけでは成り立ちにくくなっている。この時、集積地には、単にものを買うことを超えた価値が必要になる学び・経験・コミュニケーションのようなものが、大きな意味を持ち始めるのである

▶︎シェアを設計する

 私たちはこうした状況の中で、住宅とは一見全く異なる機能の施設に対しても、人々が場を自然にシェアすることができる空間づくりに取り組んでいる。

 デジタルファブリケーションによるものづくりができ、同じ興味を持つ人々のコミュニティをつくり出している「FabCafe」や、個人のクリエイターやワーカーが場所をシェアし、コラボレーションを行うコワーキングスぺ一ス「THE SCAPE(R)」。ここでは、空間の構成や家具のデザインを突き詰めることによって、様々な利用者が自分に合った頻度や方法で参加できる場づくりを心掛けている。

 今年完成した「KOIL柏の葉オープンイノベーションラボ」は、約3000㎡のイノベーションセンターであり、こうした取り組みの集大成と言える。ここでは個人のワーカーだけでなく、ベンチャー企業やそれを支援する団体や投資家、さらには大企業の一部署や大学の研究室などがひとつのフロアをシェアする。

 現在進行中のプロジェクトの中には、福祉系の施設も含まれている。福祉施設は元来、障害者や高齢者といった利用者の種別によって別個に施設がつくられてきた経緯があるが、私たちは今、利用者同士、あるいは地域も含めたトータルなケアの空間とすべく、高齢者デイケア、高齢者ショートステイ、障害者ショートステイ、障害児デイケア、クリニックなどを含む、福祉の複合施設のようなものを設計している。ここでは、アクティブなコミュニケーションよりもゆっくりとした時間の流れや気配のデザインを大切にしケアをシェアする場を設計している。またコミュニティカフェの建設から運営まで行なっている。しかし、実際に調査してみると、三井不動産と東京大学とテナント業者の寄せ集めの高所得者対象のエリート空間と感じられる。実際庶民感覚とは程遠い福祉系施設が多く、コミュニティといっても一部の業界の商業ベースのための建設計画だったことは否めない。

 僕らは「リノベーション」というキーワードで建築や街、生活環境を捉えている。rt」フォーム」ではない、「リノベーション」。リノベーションとは、先人たちがつくりあげた社会資産、社会環境を使いこなすということ。過去を読み解きそこに新たな「物語」を吹き込むこと。あくまでも「建築家」というスタンスです。

▶︎「あなたでなければ」、「ここでなければ」、「今でなければ」

 「建築家」は「築造家」ではない。つくるだけではなくあるときは解体し、ある時は変換し、ある時は存在意義を問い直す。そのために建築に取り組む前にそのハードウェアが置かれている背景を振り返ることが必要だ状況を俯瞰し、現在進行形のコンテクストを読み解くのだ。

 僕らが考える建築、まちを活かすために重要な3つの視点。それは「あなたでなければ」、「ここでなければ」、「今でなければ」。つまり人、場所、時間の3要素を明確に見い出すことだ。

 たとえば築後半世紀を経た東京都日野市多摩平団地再生上図)では、建築物のみを回顧主義的に再生するのではなく、団地を含む周辺地域とその場所だけに重ねられた時間人の営みから生ずる「今」の価値を掘り下げることを目指した。

 緑豊かな敷地外構には、50年の間に、団地住民だけでなく周辺住民が育んだ都市公園としての価値がある。加えて、住宅公団発足当時の団地がこの「場所」に生まれた背景は感動的だ。ここはかつての大正天皇の御料地であり戦後の農村伝道神学校の広大な農地だった。神学校のストーン牧師の物語は今も団地住民の中で語り継がれている。

 他にはないその場所だけが持つ世代を超えた人と場の歴史。歴史の1ページに自らの暮らしを重ね合わせる。そんな物語を物語の上に紡ぐ。可能な限リリセットせずに、唯一の生活環境の価値を次世代に繋ぐ100の建築、100のまちがあれば100の価値と存在意義がある。そんな価値の再発見に必要なのは、物語を知ること、建築家として参加可能な物語を紡ぐこと、そして伝えること、共感の輪を広げることだ。