② 製鉄技術の発明は、つまるところ一種の科学技術の発明です。しかし、鉄器の生産と利用は、鉄鉱の採掘から、鉱石の運搬、鉄金属の製錬、鉄器の製作・分配・流通・使用まで、複雑な分野があります。鉄器の生産は 当時においては重要な「新高度技術」産業です。鉄器生産の研究は、採鉱、製錬と鉄器の製造はもちろんのこと、生産設備、生産工具、生産技 術、生産方式などの方面の研究とも切り離すことはできません。このため、「産業考古学」(Industrial Produce on Archaeology)的な視野の下、研究を行なっていくべきです。
③ 考古学的な発見とその研究から、鉄器の利用が地域的に拡大するにつれ、戦国時代の鉄器は東北地方へさらに韓半島や日本列島にまで伝播し、そして当地で人工的な鉄器の生産を引き起こしたことがわかってきました。平安北道潤源郡龍淵洞、寧辺郡細竹里などで「韓国系鉄器」が発見されています(李南珪1993)。日本の北九州市長行遺跡、福岡県曲田遺跡、下稗田遺跡、上原遺跡、熊本県斉藤山遺跡などの九州の遺跡では、すべて中国中原地域の鉄器に由来した鉄器が発見されています。その年代には、縄文時代晩期と弥生時代前期とがあります(川越1993)。これらの地域と戦国鉄器の内在的な関係が明らかになったのです。これに対して、研究者は長い間関心を寄せ、多くの研究者が研究を行なっています。しかし、戦国時代鉄器の韓半島や日本列島への伝播経路に関しては、痕跡はたどることはできますが、はっきりとしていません。