霞ヶ浦(写真)

■光と風のように   

藤井正夫(日本写真家協会会員、茨城県美術展写真審査員)

 太田君との出会いは25年前になるだろう。毎日新聞本社から、石岡に日報連石岡支部をつくるから、写真の指導に行ってくれと写真部長に言われて石岡に出向いたのがきっかけだった。 私は当時、毎日グラフ特約写真家として、ドキュメント写真撮影のために、日本中をかけ回っていたのである。

 私の頭に浮かぶのが鹿島鉄道鉾田線(組写真)で見たローカル線のドキュメントだった。 広角レンズで鋭く、シャープに切り込んでいく構図。スナップ写真、それでいて暖かい眼で地元を見つめているカメラアイに私は感動した。

 霞ケ浦北岸に沿って走る鉾田線は、のんびり田園地帯を走り抜けていくローカル線である。ほとんどの駅舎は無人である。待合室で会った古老はしきりにガソリンカーと呼んでいた。 のんびり走るマッチ箱のような列車にゆられ、車窓から水田を眺めながら、春のさわやかな風に吹かれて見る風景は、また、格別の思いがするのだ。車窓から見た夕日。−「子僕のころから親しんできた霞ケ浦の風景。それを正確に記録して後に伝えたくて」カメラを手に歩き回っていた。石岡市に生まれ育ち、地元に根づく太田君がヒューマンな眼で地元をテーマに写真を撮り始めたのは昭和45年ごろからだったと聞いている。

 茨城県は昔の常陸国に下絵国の一部が合体したものであるが、県北の一部を除いては、ほとんど関東平野と言われる平地。農地面積は全国第二位にあり、その県境を坂東太郎と言われる日本第二の利根川が流れている。

 また、湖の大きさでは琵琶湖に次いで全国第二位と言われる霞ケ浦がある。

 そして生活とのかかわりのある湖にカメラを向けていったのだった。横17.8メートル、高さ10メートルもある大きな帆にいっぱい風をはらんで、滑るように湖面を走る帆曳船。ワカサギ漁の美しい風景である。

 毎年7月21日から12月末までが漁期で、県内外から観光客や写真撮影の人々が大勢訪れる。米作地帯のため、稲刈りに忙しい時期は漁を休む人たちもいる。 明治初期に、出島村の折本良平氏によって考案されたこの漁法も、霞ケ浦の汚染が始まるまでは、湖面全体に白鳥が羽を休めているかのような美しい風景を見せていたが、その姿はもはや観光帆曳きでしか見ることができない。

 霞ケ浦の湖上には毎年7月21日の早朝、トロール船のエンジン音が一斉に響きわたる。ワカサギ漁の解禁だ。湖でとれる魚種は多彩だが、代表格は全国一の水揚げを誇るワカサギ。その漁にかける漁業者の思いは熱い。

 霞ケ浦に帆曳船は今はないが、きょうも、トロール船上にカメラを持った太田君の姿があった。「きれいな水を取り戻すことだ」と思う。写真一枚一枚が見る人に強烈な印象をもたらし、刻々と移り変わる光とそれによって変化する自然の表情を鮮烈に描いていたのである。

 

■風とともに生きる  

 太田 晃

 夏の暑い日に霞ケ浦の高台に立ったとき、湖面いっぱいに白い花が咲いたように帆が美しかった。子供のころの思い出が北浦でよみがえった。それ以来、帆曳きによる漁が終わるまでの10年間撮影した。

 帆曳船の漁は風まかせである。捕る魚はワカサギだが、そのワカサギの回遊する速さに合わせたスピードの出る風が吹かないと漁ができない。あまり強過ぎても危険で漁はできない。文字通り、漁民は風とともに生きているのである。したがって、撮影も風次第で、風を考えながらの10年間だった。

 夏のある日、漁師の人たちと風の吹くのを湖畔で待っているとき、雲の出る方向によって風の向き、風の強さがわかること、それによって撮影地を選定することを学んだ。撮影にあたっては16ミリの魚眼レンズで帆曳船のイメージを変えること、また500ミリの望遠レンズで手前の人物にピントを合わせ、帆曳船をポカすことを考えた。生活感を出すために、帆曳船に乗せてもらったり、漁師の自宅に行って漁と関係するものを撮影させてもらったり、撮影地、麻生町白浜の方々には大変ご協力をいただいた。

 当時を振り返ってみると、時代の変遷が感じられる。湖岸の堤防ができあがって霞ケ浦の水がめ化が完成し、周りの風景も変わった。湖の汚染が進み、水質浄化の運動が各方面で行われている。漁獲高も少なくなり、漁の方法もトロールに変わり、帆曳船は廃止となった。現在は観光船として霞ケ浦町、玉造町、土浦市、潮来町、鹿嶋市にそれぞれ1捜あるのみである。

 写真を始めて間もない昭和43年、日本報道写真連盟石岡支部が誕生した。入会して日報連東日本本部の指導を受けることになり、それから本格的に撮影をすることになった。

 そこで藤井正夫さんから指導を受けたのは、ライフワークとしてのテーマを持つこと、生活感を入れたヒューマニズムに富んだ写真を写すことだった。また、撮影したときは単なる記録でも時間とともに価値の出るテーマ、地元に密着した素材をということだった。そこで私が選んだテーマが霞ケ浦を中心とした地域であり、題材が帆曳船と地元のローカル鉄道だったのである。帆曳船はもはや廃止となり、ローカル鉄道も、私が写真を撮り始めたころとは社名も変わり、駅舎はほとんどなくなつてしまった。写真で記録したもの以外に当時の面影を伝えるものはない。そんなわけで、今回は昭和50年代に撮影した写真を中心としてまとめてみた。当時の面影を感じていただければ幸いである。写真集の発刊に当たって、撮影に協力して下さった麻生町の漁師の方をはじめ、熱心に指導して下さった先生方、出版関係の方々に深く感謝申し上げます。