東洋美と西洋美の違い

■光琳派と印象派の違い

 琳派は、17世紀初めの俵屋宗達、18世紀初めの尾形光琳らによって、日本の都であった京都の町人文化として生まれ、19世紀初めに酒井抱一や鈴木其一らによって、将軍お膝元の江戸(現在の東京)に引き継がれた、装飾的な美感を核として発展した都市の美術でした。

 一方、印象派は、19世紀後半のフランス・パリを中心に、マネやモネ、ドガやルノワール、セザンヌらによって、日常的な経験を通して受ける印象や市⺠生活の喜びを率直に表現する、新しく起こったヨーロッパの近代美術でした。

■光琳派のデザイン

 琳派の絵画の特徴として、「平面的」なデザインも挙げられます。描写の写実性や、遠近法といった、「見えたままに忠実に描く」という西洋絵画的な技法は、琳派では重視されていません。むしろ、実物に迫る写実性とは違ったアプローチで、モチーフの印象や迫力を伝えているのが琳派の魅力といえます。

 金箔や銀箔を貼った背景に、モチーフを大胆かつ効果的に配置することでより目立たせ、ゆったりとした余白による高級感も生まれます。見る者の視線を誘導し釘付けにするような琳派のデザイン性は、現代のデザインにも通じるところがあり、琳派の先駆者たちの視覚的な印象や効果の研究の後が見て取れます。

▶︎琳派の巨匠・本阿弥光悦

 戦国時代の終わりに京都の刀剣を扱う家に生まれた本阿弥光悦(ほんあみこうえつ、1558〜1637年)は、家業を継ぐ道には進まず、書家や陶芸家、漆芸家、画家など芸術家としてマルチな才能を発揮した人物です。京都の鷹峯に芸術家たちが集まる芸術家村を築いたことでも知られます。

 本阿弥光悦は、当時の京都で3本の指に入ると言われた書の腕前や、装飾の美しい漆塗りの硯箱、楽焼の茶碗など、多彩な作品で江戸時代以降の芸術や工芸に大きな影響を及ぼしました。同時代の画家・俵屋宗達とともに、のちの琳派と呼ばれる作風を築いたのも本阿弥光悦の功績です。なお、本阿弥光悦の姉が尾形光琳の曽祖父の妻であることから、尾形光琳とは遠い姻戚関係にあることになります。

▶︎印象派のモネ

 モネは特に戸外制作を重視し、物の固有色ではなく、日光やその反射を受けて目に映る「印象」をキャンバスに再現することを追求した。絵具をパレットで混ぜずに、素早い筆さばきでキャンバスに乗せていくことで、明るく、臨場感のある画面を作り出すことに成功した。その後の連作の時代には、光の当たったモチーフよりも、光そのものが主役の位置を占めるようになり、物の明確な形態は光と色彩の中に溶融していった。鋭敏な観察力と感受性をもって絶え間なく変わり続ける風景を表現したモネは、印象派を代表する画家と言われる

▶︎光琳水(こうりんみず)

 光琳水は、その名の通り、江戸時代前中期の絵師、尾形光琳「風」の流水模様です。晩年の傑作、国宝「紅白梅図屏風」を想起させお気に入りの図案です。

 光琳梅に光琳菊、光琳松に千鳥・・その他にも光琳は、今も愛される「光琳模様」をたくさん残しました。後世に及ぼした影響を考えるとアーティストといった解釈で
済ますことはできず意匠家です。在世中から「光琳模様」は流行したそうですが光琳風の絵手本、画譜は死後も繰り返し出版された記録が残っています。

▶︎モネの水もの表現

 初期モネにとっては、水とは透明な液体ではなく、変化し続ける歪んだ 反射として理解された。ところで、反射だけを描いても、水の反射を描いたことにはならない。モネの絵の中から、反射の方だけを切り取って眺め ても、それはゆらめく水には見えてはこない。(下図)映すものと映される ものとの間の、不可解な照応が、水際で上下に並べて提示されてはじめて、 ゆらめく精妙な水面が立ち現れてくる。