■松本民芸家具
二列目中央:バーナード・リーチ氏、左:濱田庄司氏、右:河井寛次郎氏
▶︎松本民芸家具の歴史
池田三四郎(左)と柳宗悦氏(右)
▶︎昭和19年
(株)松本民芸家具の前身である中央構材工業(株)を設立。 旧陸軍航空本部用の木製格納庫を製造する。戦後はその木工技術を生かし、東京を中心に戦後の復興住宅と建具の製造を手がけてきた。
▶︎昭和23年
11月、第二回日本民芸協会全国大会が京都相国寺で開かれ、池田三四郎も出席、柳宗悦先生の説いた「美の法門」の講演を聞き感銘を受け、民芸の道にすすみ民芸家具の製作を通じて、民芸新作運動に一生を捧げることを決意。民芸家具の製作を始める。
柳宗悦の推薦で富山の安川慶一(初代富山民芸館館長)を指導者として迎える。このころより柳宗悦、毎夏松本を訪れる。同じく、濱田庄司、河井寛次郎など民芸運動の先達も幾度となく松本を訪れるようになる。
▶︎昭和24年
芹沢銈介「木工ロクロ」の指導の為松本に訪れる。
▶︎昭和25年
秩父宮妃殿下来松、池田三四郎、柳宗悦と懇談。
▶︎昭和26年
安川慶一の助力により、北陸銀行家具一式受注。混迷期なるも松本民芸家具が起動に乗り出す足がかりの年となる。
昭和27年
「松本民芸家具展」白木屋で開催。松本の家具が東京の一流デパートで展覧された第一回目。その際出展した、英国風バタフライ卓とスピンドルチェアのセット(松本民芸家具初の大作)を棟方志功が買い求める。
製作指導をするバーナード・リーチ氏