マルタ・アルゲリッチ

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 マリア・マルタ・アルゲリッチ(Maria Martha Argerich, 1941年6月5日 – )はアルゼンチンのブエノスアイレス出身のピアニスト。現在、世界のクラシック音楽界で最も高い評価を受けているピアニストの一人である。

 ブエノスアイレスの中産階級に生まれた。父フワン・マヌエル・アルゲリッチは経済学教授や会計士を務めた。母フワニータ(旧姓ヘラー)はベラルーシからのユダヤ系移民の二世だが、ユダヤ教からプロテスタントに改宗していた。保育園時代に同じ組の男の子から「どうせピアノは弾けないよね」と挑発された時やすやすと弾きこなしたことがきっかけで才能を見出され、2歳8ヶ月からピアノを弾き始める。5歳の時にアルゼンチンの名教師ヴィンチェンツォ・スカラムッツァにピアノを学び始める。
 1949年(8歳)、公開の場でベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番ハ長調作品15を演奏した。翌1950年(9歳)にはモーツァルトのピアノ協奏曲ニ短調K466とバッハのフランス組曲ト長調BWV816を演奏した。

 ブエノスアイレス知事のサベテという人物がマルタの熱烈なファンだったため、1954年8月13日、サベテの仲立ちにより大統領府でアルゲリッチ親子と会ったフアン・ペロン大統領は、マルタに留学希望の有無を尋ね、「フリードリヒ・グルダに習いたい」との申し出に従って、彼女の父を外交官に、母を大使館職員にそれぞれ任命し、1955年初頭から一家でウィーンに赴任させた。これに伴って家族とともにオーストリアに移住した彼女は、ウィーンとザルツブルクで2年間グルダに師事した後、ジュネーヴでマガロフ、マドレーヌ・リパッティ(ディヌ・リパッティ夫人)、イタリアでミケランジェリ、ブリュッセルでアシュケナージに師事した。ウィーン時代、プエルトリコ出身の「最高にハンサムな男の子」を相手に処女を喪失したと自ら発言している。

 1957年(16歳)、ブゾーニ国際ピアノコンクール優勝。またジュネーブ国際音楽コンクールの女性ピアニストの部門においても優勝し、第一線のピアニストとして認められるものの、更にその後も研鑽を続ける。1959年には、ブルーノ・ザイドルフォーファーのマスタークラスを数回受講している。なお、絶対音感の持ち主ではなく、調性を正しく認識していないこともあり、聴衆の一人から「ト長調の前奏曲」の演奏を褒められても自分が弾いた曲のどれを褒められたのか判らず、考え込んだことがある

1960年、ドイツ・グラモフォンからデビューレコードをリリースする。22歳のとき作曲家で指揮者のロバート・チェンと最初の結婚をするが、1964年、長女リダの出産前に破婚。

 1965年、ショパン国際ピアノコンクールで優勝し、最優秀マズルカ演奏者に贈られるポーランド放送局賞(マズルカ賞)も受賞した[13]

 1969年、1957年に出会った指揮者のシャルル・デュトワと結婚し(2度目)、娘をもうけるが、来日の際に夫婦喧嘩となり、アルゲリッチだけが帰国し離婚。後にピアニストのスティーヴン・コヴァセヴィチと3度目の結婚

 ソロやピアノ協奏曲の演奏を数多くこなすが、1983年頃からソロ・リサイタルを行わないようになり室内楽に傾倒していく。ヴァイオリニストのクレーメル、イヴリー・ギトリス、ルッジェーロ・リッチ、チェリストのロストロポーヴィチ、マイスキーなど世界第一級の弦楽奏者との演奏も歴史的価値を認められている。

 1990年代後半からは、自身の名を冠した音楽祭やコンクールを開催し、若手の育成にも力を入れている。1998年から別府アルゲリッチ音楽祭、1999年からブエノスアイレスにてマルタ・アルゲリッチ国際ピアノコンクール、2001年からブエノスアイレス-マルタ・アルゲリッチ音楽祭、2002年からルガーノにてマルタ・アルゲリッチ・プロジェクトを開催している。

 受賞歴にはフランス政府芸術文化勲章オフィシェ(1996年)、ローマ・サンタ・チェチーリア協会員(1997年)、グラミー賞(1999年、2004年、2005年)、ミュージカル・アメリカ誌・Musician of the Year(2001年)、第17回高松宮殿下記念世界文化賞(音楽部門、2005年)、旭日小綬章(若手音楽家の育成等に寄与したとして、2005年)などがある。

2015/05/15 に公開
アルゼンチン出身の世界的ピアニスト、マルタ・アルゲリッチさんの名前を冠した施設が­大分県別府市に完成し、アルゲリッチさん本人がこけら落としのコンサートで演奏を披露­しました。
「しいきアルゲリッチハウス」は、世界的なピアニストマルタ・アルゲリッチさんが総監­督を務める音楽祭が毎年開かれている別府市に完成した施設で、クラシックの演奏を間近­で鑑賞できる「サロン」と呼ばれる小さなホールを備えているのが特徴です。
15日は関係者が出席してしゅんこう式が行われ、アルゲリッチ芸術振興財団の理事長を­務める大分県の二日市副知事が「現役の演奏家の名前を冠した世界に唯一無二の施設で、­大分県の芸術の振興に生かしたい」とあいさつしました。
式典のあと、150人収容のサロンでアルゲリッチさん本人が出演して、こけら落としの­コンサートが開かれました。アルゲリッチさんはアルゼンチン出身の73歳で、卓越した­技術と力強い演奏で半世紀以上活躍し、世界最高峰のピアニストと言われています。アル­ゲリッチさんは日本の若手バイオリニストなど4人とともに、シューマンの楽曲を演奏し­ました。
東京から訪れた女性は「引き込まれるような演奏で今も興奮しています。生で聴くことが­できて感無量です」と話していました。「しいきアルゲリッチハウス」は今月28日から­来月3日まで一般公開されます。

■アルゲリッチさんが語る広島、ホロコースト、ワーグナー

 現代最高のピアニストの1人、マルタ・アルゲリッチさんが原爆投下70年に合わせて来日し、広島と東京で広島交響楽団との特別演奏会を開いた。インタビューに応じることの少ない彼女にふだん、あまり口にすることのない音楽と社会、政治とのかかわりについて聞いた。

 ――演奏会では、曲の間にホロコースト(ナチスドイツによるユダヤ人らの大量虐殺)と原爆に関する詩の朗読をはさみましたね。

 「広島への訪問は6度目。原爆の(平和記念)資料館を訪ねたこともあります。私自身、(原爆詩人・作家の)原民喜の詩の朗読にとても心を動かされました。70年前に起きたことをともに記憶すべきだと考えたのです」

 ――ユダヤ人の間には、ホロコーストはほかの悲劇と比較できるものではないという考えもあります。

 「ホロコーストも原爆も(国家を超えた)人類の悲劇です。もちろん日本は唯一の被爆国ですが、そこには外国人もいた。ホロコーストは主にユダヤ人が対象でしたが、アウシュビッツ収容所にはロマ人も同性愛者もいたのです」

 「『ヒロシマ』が起きたことを否定する人はいませんが、歴史修正主義者にはホロコーストを否定しようとする人もいる。だから、両者をともに記憶することが必要だと思います」

 ――演奏会ではベートーベンのピアノ協奏曲第1番を演奏しました。

 「とても好きな曲で、演奏すると幸福な気持ちになる。聴く人もそうでしょう。第2楽章はとても深遠で、第3楽章は愛と生命力にあふれています。この曲の特別なエネルギーには、当時若かったベートーベンについてのヒントがある。すごい天才であると同時に興味深い人間で博愛主義者だったことがわかります」

 ――滞在中、広島の平和記念式典にも出席しました。

 「市長の演説(平和宣言)やこどもたちのスピーチに非常に感動しました。被爆ピアノにも触れました。よく手入れされていてすてきな音がしました。これを弾いていたアキコ(河本明子さん)の話も知っています。被爆の際、大きなけがは負わなかったが、(放射線障害で)翌日に19歳で亡くなった」

 ――ピアニストで指揮者のダニエル・バレンボイムさんがイスラエルとアラブの若手演奏家で組織するウェスト・イースタン・ディバン・オーケストラとも演奏していますね。

 「2年前、彼から演奏旅行に誘われた。とても興味があったし、私は名誉メンバーでもあったので、行くわよと答えた。ガザ問題(昨年夏のイスラエル軍による侵攻とパレスチナ側のロケット弾攻撃)のさなかにはアルゼンチンに滞在中で、団員どうしの議論にも加わりました」

 ――あなたはイスラエルの外交政策を正面から批判するバレンボイムのような発言はしていませんね。

 「私は対話を信じますが聞き役に徹するタイプです。中心にいたい人間ではなく、シャイな人間なのです。聴衆の前で弾くことは好きではないし、(本来は)自分の性格になじまない、と思っています」

 ――イスラエルでは、ナチスが利用したワーグナーの音楽を今でもタブー視しています。音楽と音楽家の政治思想は区別できると思いますか。

 「ワーグナー自身、反ユダヤ主義的なことも書いています。彼は天才だけど、同時に日和見主義者だった。ただ、私が彼の曲を避けているわけではありません。ドビュッシーが2台のピアノ用に編曲した『さまよえるオランダ人』序曲を演奏したことがあります」

 ――同郷(アルゼンチン出身)でもあるバレンボイムさんとはピアノ連弾の共演も増えていますね。

 「彼が弾くモーツァルトは素晴らしい。『2台のピアノのためのソナタ』を彼と弾いたのは特別なことで、非常に興味深かった。そこから学ぶこともありました。彼との演奏はとてもやりやすい。音楽面での相違? それはありません。いや今のところはないと言っておきましょうか(笑)」(国際報道部長・石合力)

     ◇

 マルタ・アルゲリッチ 1941年アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ。母ファニータはベラルーシからのユダヤ系移民2世。65年、ショパン国際ピアノコンクール優勝。世界の一流オーケストラとの協奏曲のほか、室内楽の演奏、録音も多い。98年から「別府アルゲリッチ音楽祭」の総監督も務め、頻繁に来日。東日本大震災の直後には東京での演奏を復興支援チャリティーCDとして発売した。三女ステファニーさんが監督したドキュメンタリー映画「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」(12年)が昨年、日本でも公開された。今回演奏したベートーベンの協奏曲1番は8歳の時に公開の場で演奏している。

https://youtu.be/KUiiEtL4GhM