相撲ファン必見ですよ!江戸時代の大相撲や力士の世界を探る「抱え相撲の世界」開催

相撲ファン必見ですよ!江戸時代の大相撲や力士の世界を探る「抱え相撲の世界」開催

 来月9月11日(日)から両国国技館で大相撲九月場所が開催されますが、その両国国技館の1階にある相撲博物館にて江戸時代に行われていた抱え相撲に関する展覧会が開催されますよ。

 相撲博物館で開催される「抱え相撲の世界」では、江戸時代に相撲界にあった「抱え力士」という仕組みに関連する資料や浮世絵作品が展示されます。

天明八戊申江戸大相撲生写之図(右隻) 豊麿(?)画

天明八戊申江戸大相撲生写之図(右隻) 豊麿(?)画

 江戸時代、力士は僧侶や歌舞伎役者などと同じく士農工商の身分にとらわれない存在でしたが、力士が大名家に武士の身分で取り立てられることもあり、これを「抱え」と言います。相撲好きの大名は本場所で活躍する力士を取り立てたり、地元の有望な者に稽古を積ませて抱え力士とし本場所に送り込むなどしていたそう。

 江戸幕府は大名抱えの力士を武士の身分として認め、それ以外の力士は浪人扱いとしていました。抱え力士になるには大名に目を付けてもらえるほどの実力を持っていなければならず、抱え力士になることは当時の力士にとって憧れであり目標であったのでしょう。

 そんな、江戸時代に相撲界の花形として活躍した力士たちの歴史や抱え相撲に関する資料などが展示される本展、展示される浮世絵の中には歌川豊国などの人気絵師の作品もありますよ。

 相撲ファンはもちろんのこと、江戸時代を中心とした歴史に興味のある人にとってもなかなか楽しみな展示となりそう。

雷電為右衛門(1767〜1825) 勝川春英 画

雷電為右衛門(1767〜1825) 勝川春英 画

「抱え相撲の世界」は2016年8月18日(木)〜10月21日(金)の期間、両国国技館内、相撲博物館にて開催されます。相撲博物館は本場所中は大相撲の観覧券が必要ですが、それ以外の期間は無料となります。

 両国国技館のすぐそばにある江戸東京博物館では8月28日(日)まで「大妖怪展 土偶から妖怪ウォッチまで」も開催中ですので、合わせて楽しみに行っても良いかもしれませんね。

 設立のきっかけは、1950年1月場所、3日目までに東冨士照國羽黒山の3横綱が途中休場したため横綱の格下げが論議され、場所中に協会は「2場所連続休場、負越しの場合は大関に転落」と決定、発表した。

 しかし、粗製濫造した協会が悪いと世間の反発をくらい、決定を取り消すことになった(ただし、東富士・照國・羽黒山はいずれもこの時点ですでに一時代を築いた名横綱で、彼らの昇進自体が不当だったとする見解は存在しない)。そこで、横綱の権威を保つためにも横綱免許の家元である吉田司家ではなく、相撲に造詣が深い有識者によって横綱を推薦してもらおうということとなり、1950年4月21日に横綱審議委員会が発足した。初代委員長は好角家として有名だった元伯爵貴族院議員の酒井忠正

 たしかに相撲の地位が低くなったのは、明治以降ですよ。
鶴岡八幡宮では、政権を担った頼朝が、東国武士を一ヶ所に集結させ「相撲」を競わせる。「神事」兼「競技大会」みたいなのを開いていました。(曾我物語)
また、「古今著聞集」には、長居という東国最強の相撲人との対戦を頼朝に命ぜられた畠山重忠が、金剛力を振るって長居の肩を砕いたという記述があります。
北条時頼が「近年、相撲などの武芸が廃れ」ていると慨歎し、建長 6年(1254)閏 5月 1日に、武士を引っ張り出して相撲大会を催したという記事もます。
江戸時代、相撲は庶民の間でも流行しました。
それを「勧進相撲」と称し、確かに興行的な趣が高かったのですが、
ですが、慶安 4年には、勧進相撲は禁ぜられています。
つまり、「相撲」は江戸時代に、興行とすることは認めれなかったわけです。

公家・僧侶・神主・検校と言うのは士農工商・穢多・非人とは、別枠の身分とされていました。
相撲は古くは神事に深い関係があります。
また、相撲は垂仁天皇の時代に、天照大神の子供の天穂日命の14世の子孫である野見宿禰が、垂仁天皇の命により当麻蹴速と「相撲」を取ったと「日本書紀」にも載っています。いわゆる既存の身分とは別枠だからこそ、大名がひいきの力士を士分にとりたてたりできたわけです。もし力士が非人であったなら、とてもそのようなことを一介の大名が出来ません。相撲が被差別的職業に混同されるようになったのは明治になってからです。明治政府におとしめられ、神事とは切り離され、また武家の庇護を失ってしまい。相撲は興行になってしまい。金儲け主義に陥って、テキ屋などとつながるきっかけになりました。

みみ