ゆとり教育、受けたけど

■ゆとり教育、受けたけど

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寺脇研さん・前川喜平さん・小林哲夫さん

「2030年の日本を語ろう」をコンセプトに、朝日新聞社は平成世代と大人世代によるセッションを定期的に開き、その対話を「朝日新聞DIALOG」のサイトで発信しています。8月からは平成の30年を振り返る連続セッションを始めました。初回のテーマは「ゆとり教育」。約80人の参加者を前に、「ミスターゆとり」の寺脇研さんと前文部科学事務次官の前川喜平さんが当時の思いを語り、若者たちと対話しました。

■学ぶ人が主役、目指した 元文部科学省大臣官房審議官・寺脇研さん

経済的に豊かな国を目指す戦後の流れが変わったのは1980年代でした。物よりも心の豊かさが大事だと考える人が増え、画一的な詰め込み教育に反対する国民的な動きが起きた。昭和の時代までは、学校の主役は教師でしたが、社会が成熟してきたこれからは学習者が主役。そう思うと、新しい教育のあり方がぐんぐん見えてきました。

ゆとり教育で目指したのはオーダーメイドの教育。学習指導要領で定めた最低ラインを下げれば、空いた時間に知りたいことや学びたいことにもっと取り組めると考えました。とはいえ日本の教育は明治以降、近代化や富国強兵、経済成長といった「目指す社会」を実現するためのものでした。その成功体験をもつ大人からは「教育の力で大国になったのに壊すのか」という批判が出た。私は子どもや保護者や教師を一生懸命説得して進めましたが、当事者ではない大人の反発に阻まれました。

 てらわき・けん 1952年生まれ。75年、文部省(当時)入省。生涯学習振興課長、大臣官房審議官などを歴任。90年代末に「ゆとり教育」の広報を担当。2006年退職。現在は京都造形芸術大客員教授。

■総合学習、考え方は今も 前文部科学事務次官・前川喜平さん

1987年に臨時教育審議会がまとめた最終答申は、大きなインパクトがありました。右肩上がりの時代は終わり、これからの成熟社会の中で起きる大きな変化に立ち向かえる人間を育てていけるか、という視点での見直しでした。当時、私は出向先の宮城県教委の課長でしたが、道しるべをもらったような思いがしたものです。

ただ、ゆとり教育を機にできた「総合的な学習の時間」を学校の先生が生かし切れないケースも多かった。ある中学校では、先生方から「総合学習の時間はムダなので、やめてほしい」と言われました。

批判の背景には、一人ひとりの子どもが主体性をもって学ぶと困る人がいたのでしょう。「国づくりのための教育」と考える人による揺り戻しが脱ゆとりへと向かわせました。

それでも、総合学習の時間は減ったものの、なくならなかった。その方向性は維持できたと思います。「学習者の主体性を大事にする」という考え方も、アクティブラーニングという言葉で今も続いています。

 まえかわ・きへい 1955年生まれ。79年、文部省(当時)入省。初等中等教育局長、文部科学事務次官などを歴任。2017年に退職。現在は現代教育行政研究会代表。

■ゆとり批判、当事者世代にも

セッションの冒頭で、会場の参加者にゆとり教育への印象を聞くと、半数以上が「悪い」に手を挙げました。それを受けてパネルディスカッションが進められました。

若者を子育て家庭に派遣して育児体験をしてもらう事業を行う新居日南恵(におりひなえ)さん(24)は、ネガティブな印象を持つ理由を「ゆとり世代とくくられ、何かが欠けているかのように言われて育った」と話しました。これに対し、寺脇さんは「当時の子どもたちが『ゆとり世代はとんでもない』と言われるのは想定外だった」と語り、「ゆとり批判が強まった背景には、バブル崩壊で大人たちが自信を喪失していたこともある」と指摘しました。

同じく批判的に見てきたという青木優さん(24)は「目的は、授業についていけない子のために教える内容を減らすことだ、と受け止めた人が多かったのでは」と問いかけました。これには前川さんが反論。「円周率が3.14でなく3になる」という大手塾の広告を機に批判が広まったことを例に挙げ、「円周率は3でも3.1でもいい。単なる詰め込みではなく、生涯にわたって学び続けるための基礎知識をつけることが大事だと考えていた」と応じました。

教員免許を持つ野田雅満(まさみち)さん(24)の「週休2日制で子どもたちが学校の外で過ごす時間が増え、先生の役割が変わったのか」という質問には、寺脇さんが「先生には授業と週末の体験をつないでもらおうと考えていた。先生の役割も変えたかったが、ゆとり批判の高まりでできなかった」と答えました。下図(yahoo調査の円グラフより)

 2008年の学習指導要領改訂では一転、授業内容と時間がともに増加します。政治ニュースの発信に携わる古井康介(こうすけ)さん(23)は、脱ゆとりへの流れを「せっかく良いものをつくっても、言い方や捉え方で壮大なディレクションミスがあったと思う」と指摘。前川さんは「1990年代生まれの人たちが今後いかに輝いていくかが重要。実物をみて判断してくださいということだ」と話しました。

これからの教育は、どうあるべきなのか。大学でキャリアアドバイザーを務める喜多恒介(こうすけ)さん(29)は「自分は何が楽しくて、何をつまらないと感じるのかを知るために、主体性を育む必要がある。個別のカウンセリングを充実させるのが学校の役割になる」。公立高校で出前授業を行っている石黒和己(わこ)さん(24)は「学校に期待する機能や責任が重すぎる。社会や家庭での教育を充実させ、学校を拡張してオープンな場にしていくことが大事」と語りました。

寺脇さんは若い世代に、「AI技術や少子高齢化で社会の変化の速度が上がり、未来はますます見えなくなっている。これからの教育で何が必要かは皆さんに考えてもらわないといけない。考え、議論すること自体は不必要にならないはずだ」とエールを送りました。(村井七緒子)

■印象論より成果の精査を 教育ジャーナリスト・小林哲夫さん

ゆとり教育をどう評価するのか。「大学ランキング」(朝日新聞出版)の編集者で教育ジャーナリストの小林哲夫さん(58)に聞きました。

ゆとり教育は、「成果」が精査されないまま、印象論で批判されてきたように感じます。学生に中学・高校レベルの補習授業をする大学が増えたのは、2005年ごろからです。当時の大学1年生は小学校時代に「絶対評価」が導入された世代なので、「ゆとりの影響だ」と言われることもあります。しかし、より大きな要因は、1992年をピークにほぼ一貫して18歳人口が減る中、入学定員が増え、学生の学力差が広がったことでしょう。

03年のOECD(経済協力開発機構)の学習到達度調査(PISA)で日本の順位が落ちた「PISAショック」も、ゆとり批判につながりました。しかし、09年、12年と順位は回復。この時期の生徒はまさに、学習内容が3割減った指導要領で学んでいました。

主体的に学ぶ」というゆとりの精神は、「脱ゆとり」後の指導要領にも生きています。今の大学生や新社会人は、多感な時期に東日本大震災を経験したり、18歳選挙権が導入されたりしていて、社会への関心が高い人が少なくありません

受験生が総合学習で取り組んだことを大学入試の選考に活用するなど、その人が考え、学んできた履歴を検証できるようにすれば、ゆとり教育への評価が変わるかもしれません。(聞き手・前田育穂)

■格差広げたのでは/先生も校外へ出て

●「ゆとり教育にはネガティブな印象があり、ゆとり世代の自分も自己肯定感が低かったが、そこに込められた思想や活躍する同世代の話を聞き、この世代だからこそ前例のないことができるんだ、と自信をもらえました」(団体職員の男性 25)

●「自分は『総合学習の時間』を生徒として経験したので、教える立場になった今も違和感なく取り組めています。『教える側もアップデートしないと』という喜多恒介さんの発言に、まさにそうだと思いました」(中高一貫校教員の女性 29)

●「ゆとり世代の新入社員には、海外留学やボランティアなど多様な経験を積んだ優秀な人が多い。一方で学校外の時間をどう過ごすかは、親の意識や経済力の影響が大きい。ゆとり教育は、家庭環境に恵まれない子に学校外でどんな気づきを与えるかまではケアできず、格差を広げたのではないか」(不動産会社社員の男性 39)

●「大学2年の娘は、個性を重視するゆとり教育を満喫して育った。ただ、先生は対応できていないと感じていた。先生も校外に出て社会とつながるべきだし、外の人をもっと学校に入れていく必要があるでしょう」(会社経営者の男性 53)