ウソつき攻略法

ウソつき攻略法

 「首相の私が言うのだから、私は正しい」安倍晋三首相は、国会でこう繰り返してきた。たとえば、2015年5月20日の党首討論。安全保障法制について、民主党の岡田克也代表(当時)から「納得できない。間違ってる」と追及されると「法律の説明はまったく正しいと思いますよ」と述べ、最後にこう付け加えた。

私は総理大臣なんですから

 安倍首相の〝自己評価″とは裏腹に、この言葉を信じる国民はほとんどいないだろう。

 加計学園問題では、第2次安倍内閣発足以降、安倍首相は加計孝太郎理事長との面会が計19回あったと認めている。だが、「獣医学部新設の話をしたことはない」「(国家戦略特区の事業主体と認定された)」17年1月20日に知った」と強弁。愛媛県が国会に提出した文書に、15年2月25日に安倍首相が加計氏と面会し、「新しい獣医大学の考えはいいね」と発言したとする記録が残っていることにも、「ご指摘の目に加計理事長と会ったことはない」の一点張りで、面会を否定する文書などは示さない。

▶「確認した」の屁理屈

 安倍首相や側近たちの答弁で共通しているのは、ある疑惑を「ない」と断言した後に、公文書などの物証が出ても「記憶にない」と再び否定し、記録を軽んじようとする態度だ。経済産業省の柳瀬唯夫審議官は、昨年7月に「(加計学園関係者らと)会った記憶はない」と明言していたが、実際は面会していたことが愛媛県の文書から発覚。

 今年5月に行われた参考人承知では、加計学園関係者とは3回面会したことを認めたが、過去の自身の答弁については「(加計学園ではなく)今治市職員と会つたかを聞かれ、記憶にないと答えた」「(県と市の職員は)いたかもしれない」と苦しい言い訳に終始した。森友学園問題では、財務省の佐川宣寿・前理財局長が「(森友学園との)交渉記録は廃棄している」繰り返し断言。だが財務省は佐川氏の答弁に合わせて決裁後の公文書を書き換えていたばかりか、交渉記録を意図的に廃棄していたことも明らかになった

 今年3月に証人喚問された佐川氏は、野党議員から「当時(佐川氏が)『交渉履歴を確認したが破棄した』と答弁したのは虚偽だったのか」と質問され、「確認と言ったのは文書管理規則を確認したという意味」と屁理屈のような回答をして批判を浴びた。

▶証拠を出しても認めず

 なお、5月28日の参院予算委貝会では、虚偽答弁を行った回数について、佐川氏が衆参両院で計43回麻生太郎財務相は計11回あったことも判明している。上の図で一日瞭然のように、ここ数年だけでも、安倍政権の閣僚や官僚による「虚偽」まがいの答弁は枚挙にいとまがない。当然、野党からは批判を浴びてきた。

 4月11目の衆院予算委員会で、国民民主党(当時は希望の党)の玉木雄一郎代表が、「私、残念です。日本の総理がウソをついているかもしれないと思って質問するのは。でも、そういう疑念を持たざるを得ないのが現状だ」と指摘すると、安倍首相は問われてもいないのに、「ウソつきというなら証拠を示してもらわないといけない」と気色ばんだ。だが、前述のように「証拠」を出しても絶対に認めない。政治評論家の森田実氏は「こんな首相は前代未聞だ」と苦言を呈する

 「政治家たるもの『李下に冠を正さず』という信念を持ち、曲がりなりにもそれを前提に襟を正してきた。首相ならなおさらです。ところが、安倍首相は『疑うなら証拠を出せ』と裁判所の論理を政治に持ち込んだ。安倍首相が『証拠を出せ』と言うので、奉仕する役人たちは証拠を消すことを迫られる。それが財務省の公文書改竄(かいざん)という歴史的な事件を生み、自殺者まで出す悲劇を生んだ

 官僚を取り巻く環境も大きく変化した。国家公務員制度改革の一環として、14年5月に「内閣人事局」が設置されると、各省庁の幹部職員の人事権は首相官邸に集中するようになった。それまでは各省庁の判断に委ねられていた審議官級以上の幹部職員約600人について、官房長官の下で人事局が幹部候補名簿を作成。最後は、首相と官房長官を交えた協議で決定する仕組みにした。だが、官僚が人事権を握る官邸しか見ずに仕事をするようになり首相や閣僚の意向を過剰に「付度」する危険性も指摘されてきた

 元官僚で『没落するキャリア官僚』などの著書もある神戸学院大学の中野雅至教授(政治学)は、内閣人事局創設以降は「官僚の二極化が進んでいる」と語る。「かつてはキャリアとノンキャリアという分類だったが、官邸に認められて首相や閣僚の秘書官などになる 『スーパーエリート官僚』と『それ以外』で分断されている。官邸に呼ばれない官僚はキャリアでも出世は見込めない。一方で、スーパーエリートはこれまで以上に政権と同化しょうとする。首相の意向とあれば無理な案件も通そうとするし、答弁に齟齬が生じないように国会でウソもつく。佐川さんも柳瀬さんも、論功行賞を期待しているというよりも『同調圧力』でがんじがらめになっている状態だと思います」

▶官僚のウソがバレる

 そのエリート官僚たちが「ない」と言っていた文書や面会の事実が、後に露呈するようになった背景には「それ以外」の官僚たちの防衛本能が働いている。

 重野日本大選手が関西学院大選手に悪質なタックルをして負傷させた問題で、関東学生アメフト連盟は5月29日、過度な反則行為は日大の内田正人前監督と井上奨前コーチの指示だったと認定し、2人を除名処分とした。

 立憲民主党の植野幸男代表は「本当に色々なところで『安倍化』が進んでいると指摘したと中野教授は言う。官邸の意向をくんでエリート官僚たちが無理筋な案件を通そうとした場合、累が及ぶ可能性があるのは交渉の現場に立つノンキャリアや中堅官僚たちだ。自分の身や省庁を守るためには、案件が動いた経緯や誰の意向だったのかを記録しておく必要がある。それゆえ、以前なら公的文書にならない内容でもメモとして残り、結果的にエリート官僚の「ウソ」の露呈につながっている。

 「内閣人事局で官僚が分断された結果官僚の文書主義は強まっている。必ずどこかにメモが保存されているので、皮肉だが、官僚のウソがバレる時代になったとも言える」(中野教授)

▶強い主張で言葉は軽い

 ひるがえって、政治家はどうか。「言葉は命」とまで言われる政治家にとって、どのタイミングで、どんな発言をするかは極めて重要だ。失言で失脚した政治家は数知れず、不用意な発言は、時に外交問題にも発展する。政治家の発言には相応の重みがあったはずだが、安倍首相や側近たちの発言は、あまりにも軽く、乱暴だいつから政治家の言葉は〝劣化″したのか

 『政治家の日本語』の著者で信州川大学名誉教授の都築勉氏によれば、政治家の言葉には2種類あるという。

◉国民に政策の本質を的確に説明できる「外に向けた言葉」

◉利害が異なる関係者を説得して妥協点を見つける「内に向けた言葉」

の二つ。国会答弁や国民に向けた演説などは前者で、党内や野党との利害調整が後者にあたる。都築氏によれば、大平正芳元首相や小渕恵三元首相は、言葉の選び方や表現の仕方が丁寧かつ適切で、「外」にも「内」にも説得力がある日本譜が使えた首相だったという。だが、小泉純一郎元首相から、キャッチフレーズ的な言い回しを多用する「ワンフレーズ・ポリティクス」が主流となり、丁寧な説明をすることが軽んじられるようになつた。

政治評論家の森田実は『月刊日本』(03年11月号)でこう指摘した。

「小泉氏は、実は2年前の春の自民党総裁選で、某広告会社にプロジェクトチームを作り、総裁選戦略を研究させた。彼らは米国型のメディア活用方法を取り入れた。広告会社から提案されたのが、例の『自民党を変えます』『日本を変えます』『構造改革なくして景気回復なし』という、すべて15秒以内のスローガンの羅列--つまり、ワン・フレーズ・ポリティクスの手法だ。・・」

 「安倍首相の答弁は『飛び石』的な特徴がある。論理的に言葉を積み重ねて体系的に説明するのはあまり得意ではなく、個々の事象について自分なりの正当性を強い口調で主張する。自身の思いの強さゆえ、繰り返し何度も断定表現を使うので、強い口調なのに言葉が軽いという“インフレ状態”になっている」(都築氏)

▶怖いのは国民の慣れ

 森友学園問題での「私や妻が関係していたら総理大臣も国会議員もやめる」が代表的だが、安倍首相の答弁は「間違いなく」「必ず」「一度も」など過度の強調や断定が多い。「逃げ道」がなくなった側近や官僚たちは、結果的にウソの答弁を強いられ、どんどん袋小路に追い込まれていく。元凶は安倍首相の発言だが、本人がそれに気づいている節はない。

政治や人間の複雑さが理解できていない。つまり、単純なんです。強い言葉を使いたがるのは、その表れですよ」

 こう語るのは、旧大蔵官僚で、政界転身後は細川護熙内閣と羽田孜内閣で蔵相、鳩山由紀夫内閣で財務相を務めた藤井裕久氏。12年に政界を引退するまで長らく政権の中枢におり、政治家の言葉の重みを熟知している人物だ。自身も、政治家として「何をどこまで言うべきか」で悩んだことがある。細川内閣の蔵相時代には、アメリカ側と激しい通貨外交が展開されていた。藤井氏は消費税増税論者だが、アメリカの政府高官は「円高・ドル安」「国内減税」を日本側に強く求めていた。ここで蔵相が増税に言及すれば、外交が立ち行かなくなる。だが、国内的に増税議論は待ったなしだった。そこで、1994年に大蔵省の斎藤次郎事務次官と新生党の小沢一郎代表幹事(いずれも当時)が矢面に立ち、「消費税3%」を廃止、「国民福祉税7%」を導入する構想を発表した。

「国益と照らせば、政治家には話せないこともある。ただ、自分の支援者や友達を優遇するために、首相が国民にウソをつくことに『大義』はまったくない。安倍政権では国会でのウソがまかり通るようになり、政治、行政の信頼を大きく毀損した。これは、外交で国益を損なうことと同等の政治的損失です」

怖いのは、この「ウソがまかり通る政治」に国民が慣れてしまうことだ乱暴な答弁が繰り返されると野党は何度も追及せざるを得ない。それを見ている国民は「同じことの繰り返し」「まだやっている」と状況に飽きてくる。政権もその意識に乗じて、問題を矮小(わいしょう)化させ、最終的にはうやむやにしようとする。

「すべての国民が安倍政権のウソに鈍感になっているとは思わない。講演などで地方に行って話を聞くと、良識のある国民は多くいます。自民党自体もまだ腐りきってはいない。自民党内から自浄作用が働き、国民は選挙でウソをついた政治家を落とすことができるか。ここが『ウソだらけの政治』から抜け出す第一歩でしょう」(藤井氏)

 私たちは、為政者がどんな言葉で、何をごまかそうとしているのか、今まで以上に注視していかねばならない。(編集部・作田裕史)