■三春人形について
橋元四郎平
▶︎三春人形の時代背景
江戸時代中期以降、城下町、門前町などの文化を母胎として、土俗的ないし庶民的な玩具や人形が各地に輩出した。これらは、農耕を中心とした習俗、民間信仰、生活行事、祭礼などと密接に結びついており、庶民の祈願の表れでもあった。また、上層階級の節句行事が庶民の間にも浸透してきたことが拍車を加え、土人形を主体とした節句人形が、ほぼ全国的に産出されるに至った。今日、「郷土玩具」と称される伝統的な土俗玩具や人形がこれであって、そのほとんどほ、江戸中期以降の産物である。
このような玩具・人形の輩出は、文化・文政時代(1804〜30年)を頂点とする江戸庶民文化の地方的開花であって、城下町などを中心とする各地方固有の文化の発展が基盤をなしている。
三春人形の起源ないし成立の時代は、正確にはわからないが、文化年間にはすでに存在していたことは間違いなく、また、おそらく文化・文政時代に、もっとも優れた作品を輩出したことも、明らかと思われる。この点は、故本出保治郎氏所蔵の三春人形の台板の裏面に、所有者の筆蹟と推定される「文化12年」の記載があることと、文化3年(足立孔氏所蔵)および、文政11年(筆者所蔵)と善かれた「手習草紙」の人形(作者の筆蹟と推定される)がそれぞれ現存することによって実証される。また、三春人形と共に制作された三春羽子板が、当時江戸においても有名であって、山東京伝の『骨董集』(文化12年刊)に紹介されていることも裏づけとなる。
▶︎三春の玩具と「三春人形」
三春の玩具類は大別して、木馬・羽子板・張子面および張子人形類の四部門にも及ぶうえ、材質の点でも紙、木、土など多種にわたるのが特徴である。張子人形類だけについてみても、
(1)歌舞伎やこれを源流とする錦絵類に題材をとった人形。
(2)天神、えびす、大黒など民間信仰に結びついたものや、いわゆる縁起物。
(3)だるま(本来(2)に含まれるが種類も量も多い)。
(4)兎・虎・牛など動物を玩具化したもの等々ときわめて多彩である。
このような多種多様の玩具・人形を小さな一地方のみで産するという例は張子では三春以外でははとんどみることができない。しかも、それぞれの部門で、いずれも第一級の風格をもっていることば、まさに偉とするに足りるといえる。
このように、三春張子類はすべてトップクラスの優品であるが、なかでも、われわれが「三春人形」と呼ぶ一群の時代人形は、三春張子のうち、とくに前記(1)の部門の人形を指すのである。この「三春人形」は、他の張《手習草紙》子類とは異なり、土俗的な人形の中では上手に属するものであって、ダルマ、玉兎、お面のような玩具的要素はなく、節句人形、雛人形の類として、あるいは床飾りとして、当初から観賞の目的で作られたものである。
いわゆる郷土玩具は、土俗的で素朴なものであるという固定観念があるが、「三春人形」は古典人形と同様、純然たる美的人形として鑑賞に堪え、あたかも浮世絵と共通する美しさと深い味わいをもっているのであって、日本の人形のなかで、もっとも美しいといっても決して過言ではない。「三春人形」の価値は、いわゆる今日の郷土玩具と一括して扱ってはならないことに留意しなければならない。
▶︎高柴デコ屋敷の歴史
三春人形の生まれた土地は、旧奥州三春藩高柴村で、三春の城下から西へ4km余の静かな村落である。町村合併の結果、現在は郡山市西田町大字高柴となっているが・通称デコ屋敷、またはダルマ屋敷と呼ばれる家が与も4軒現存している。
高柴の人形師の出自、身分などの詳細は明らかでない。口碑によれば、三春の藩主秋田侯から、三人扶持を給されたといわれるが確証はない。
人形師は、神社や年中行事に関する縁起物をも扱い、神社の鳥居内の店張りを許される特典を与えられ、祭りや市日に、品物を並べて売ったようてある。このこととデコ屋敷のうちの恵比須屋(当主橋本広司)に、当時の「香具師記録」という文書が残されていることを考えれば、人形師は、他藩でみられるような内職をしていた下級武士ではなく、士農工商のいずれにも属さない特殊な身分であったと思われる。
高柴の本来の人形制作者ほ、五軒であったが、一軒は廃絶し、次の四軒(ずれも橋本姓)が現在も制作を続けている。
●本家恵比須屋(字館野161)
代々三右衛門を称えた古い家系で、当主正衛は19代と称している。
●恵比須屋(字福内41)
先祖の1人に広右衛門という人形の名手がいたといわれる家系で、16 代と称した広吉が昨年死去し、橋本広司(ひっとこ踊り会長)が後を嗣いでいる。
●分家恵比須屋(字館野158)
前記両家から分れた家であろう。当主文雄の3代前の広子は、面作りの名手といわれた。
●大黒屋(字館野163)
恵比須屋系と別系統の古い家系で、代々祐右衛門を称した。
上記の三右衛門、広右衛門、祐右衛門の3名が、三春人形の代表的作者とされている。以上の4軒には、古い人形の木型が数多く残されている。
次に、人形制作はしないで、もっぱら販売に当った「売り子」の家が4軒あったが、このうち、橋本彦治の家でほ、先代の頃から三春駒や張子頸 二製作をするようになった。
▶︎三春人形の特徴とその美
三春人形ほ、土人形である堤人形や衣裳人形などを範としたもののほか、歌舞伎を源流とする錦絵、浮世絵、絵草子類から題材をとったと思われるものが多い。従って、他地方の人形のなかに、類型を同じくするものがしばしば見出される。とくに、堤人形とは、形態、描彩において酷似するものが少なくない。江戸中期以降の庶民人形の主流を占めていたのほ、土人形であり、雄藩仙台藩が生んだ堤人形は、そのなかでも最高のものであるから、三春人形が堤人形の影響を受けたであろうことば、地理的条件からいっても容易に推察できる。
ただ、強調したいのば、題材が独創的でないにもかかわらず、三春人形の最も秀れた一群のものは、張子細工の特性を存分に発揮して、独自の工夫をこらし、原型の追随を超えて高度の美的洗練の域に達していることである。例えば、「弁慶と年若」の人形は、簡略化された七つ道具を身につけた弁慶の左腕の上に軽々と年若が乗っているもので、その卓抜な着想と非凡な造型は、他に類例をみず、ほとんど独創の境地に至っている。
この三春人形ほ民衆工芸の美と上手物の繊細さを合せ持ったものといえるが、更にその実しさの原因を工程に即して述べれば、次の2点に要約されるであろう。
第一は、複数の「木型」からの「張抜き」を組み合せて1個の人形を作ることである。
三春人形は、木型に和紙を張り、表面に糊をぬって乾燥させたのち、小刀で切り目を入れて型から抜き取るという「張抜き」の手法であり、従って、木型は雄型(おがた)である。他の地方には噸型(めがた)に張り込む方式もあるが、雄型の場合は、木型がそれ自体すでに人形のかたちをなしているので、原型からさらに雌型を作る方式に比べて、造型的に、より直裁で力強いものとなる。そのうえ、人形によっては、木型が1個ではなく、2個以上の場合が少なくないというのが、三春の特徴である。例えば、騎馬武者における馬と武者や、舞姿における人体と振袖などは、2個から4〜5個にも及ぶ別々の木型を使ってそれぞれ張り抜きし、これらを組み合せて一体の人形に作り上げる。この方法によって人形はきわめて立体的で動的なものとなる。
第2は、工人が「とりくみ」と呼んでいる手法であって、張抜きの紙型に、厚紙や細竹などを差し込んだり貼りつけたりして、さまざまな付属品を加える細工をほどこすことである。「とりくみ」によって、人形の本体に、頭上の烏帽子(えぼし)、弄(こうがい)や太鼓の撥(ばち)、扇、刀、弓矢などの持物を付加することができ、人形の表現を一層具象的な生気あふれるものとしている。
以上の2点によって、三春人形は土人形に比べて、より奥行きの深い流動的な趣を表わすことになり、その頂点の一群は、さすがの堤人形にも優越する美しさを示す。烏帽子を戴いた女性が、左右の振袖をひるがえしながら両手の撥で鼓を打つ姿などは、土人形の表現よりも更に生動的な境地であり、ひとり三春人形のみが有する美の世界である。
三春人形の色料は、土人形とほぼ同様、植物染料と鉱物質の顔料であるが、とくに蘇芳(すおう)の沈んだ赤を主調とする自然の色彩は、時代の経過とともに落着きを増し、えも言われぬ優しい情味を表わす。
かくて、文化・文政時代の三春人形のトップクラスのものは、日本の人形の王座を占める栄光を担っている。
▶︎三春人形への賞讃
以上の三春人形に対する賞讃の辞は、三春出身の私の身びいき的な主観ではなく、多くの識者によっても支持されている。例えば、型染の第一人者で人間国宝の芹沢銈介先生は、世界各地の秀れた民芸品のコレクターとして第一級の眼識者でもあるが、そのコレクションに、60点を越える三春人形の逸品が含まれていることば瞳目に値する(今回の展示に、そのほとんど全部を快く貸与された)。
また、民衆工芸の美の発見者である故柳宗悦は、日本民芸館所蔵の三春人形についての解説で、三春人形を「日本の人形として最も有名な又最も美しいと思われる」とし、「かういふものを見ると、日本の感覚も随分繊細な点まで進んだものである。元禄から享保あたりにかけて進んだ文化の波が、かういふ地方にも、しみこんだのである。」と述べている。
玩具・人形のすぐれた研究者であった故有坂与太郎も、「凡ての古典人形−たとへば御所人形、嵯峨人形、木目込人形等よりも造かに価値を高く買っている」と賞讃している。
われわれは、今回の展示を機として、ますます三春人形の価値を認識し、これを大切に保存して後代に伝えてゆかなければならない。また、現在の工人諸氏は、往時のすぐれた人形の再現に、一層の努力を払われることを切望するものである。