■(社説)財務省の文書改ざん 民主主義の根幹が壊れる。
▶︎公文書の記載を、公務員が都合よく改ざんする。そんな行為がまかり通れば、国民は行政の何を信じればいいのか。
財務省と、同省トップの麻生財務相の責任は極めて重い。財務省が、森友学園との国有地取引をめぐる14もの決裁文書を書き換えていたと認めた。公文書の改ざんは、幾重もの意味で、民主主義の根幹を掘り崩す行為である。問われているのは安倍政権のあり方そのものであり、真相の徹底解明が不可欠だ。
■麻生氏の責任は重い
改ざんは、財務省理財局長として学園への便宜を否定してきた佐川宣寿(のぶひさ)氏(国税庁長官を辞任)の国会答弁と整合性を図るため、理財局の指示で行われたという。だが、財務省の調査報告には分からない点が多すぎる。
例えば、書き換えたのは理財局の一部の職員、最終責任者は局長だった佐川氏。麻生氏はそう述べたが、誰が誰の指示で改ざんしたのか、重要なポイントが抜け落ちたままだ。改ざんされた文書は、国会で事実関係をただすために与野党が財務省に求めたものだ。
三権分立に基づく立法府の行政府に対する監視機能をないがしろにし、この1年余の審議の前提を覆すことになる。国会審議の妨害にほかならない。
公文書は、行政の政策決定が正しかったのかどうか、国民が判断できるよう適正に保管されるべきものだ。その改ざんは国民の「知る権利」を侵し、歴史を裏切る行為である。財務省は、会計検査院にも改ざんされた文書を提出した。検査院は、国の収入や支出をチェックするために設けられた憲法上の独立機関である。国の予算や国有財産の管理を担う財務省が、お目付け役の検査院を欺いていたことになる。
■「安倍1強」のひずみ
財務省のふるまいは「全体の奉仕者」としての使命を忘れ、国民に背くものだ。それは、5年余に及ぶ「安倍1強政治」が生んだおごりや緩みと、無縁ではあるまい。学園への格安の国有地売却が明らかになったのは、昨年2月上旬。学園の開校予定の小学校の名誉校長には安倍首相の妻昭恵氏が就いていた。首相は直後の国会審議で、「(売却に)私や妻が関係していたということになれば首相も国会議員も辞める」と語った。その後、佐川理財局長が売却をめぐる学園との交渉記録はないとする答弁を重ね、それに沿う形で公文書が大幅に改ざんされた。
「安倍首相夫人が森友学園に訪問した際に、学園の教育方針に感涙した旨が(新聞社のインターネットの記事に)記載される」。文書からは、昭恵氏をめぐるこうした記述がことごとく削られている。
また、改ざん前の文書は、学園の理事長だった籠池泰典氏が、日本会議大阪などに「関与している」と言及。そのうえで超党派による日本会議国会議員懇談会の存在を記し、「特別顧問として麻生太郎財務大臣、会長に平沼赳夫議員、副会長に安倍晋三総理らが就任」と書いていたが、この記述も消えた。
学園への特例的な扱いの背景に、首相や昭恵氏の存在があったのではないか。指示や忖度(そんたく)などはなかったのか。政権に忠誠を尽くせば評価され、取り立てられる。官僚機構のそんなゆがんだ価値観もうかがえる。一連の国会答弁が批判を浴びていた佐川氏を、麻生氏は国税庁長官に昇格させた。
その後、学園側との交渉経過が含まれる内部文書が明らかになり、佐川氏の虚偽答弁が疑われても、麻生氏と首相は「適材適所」と守り続けた。佐川氏らの招致を内閣人事局の発足などで、官僚の幹部人事は首相をはじめ政権中枢が一手に握っている。だからこそ、政治の任命責任はいっそう重いはずである。その自覚を欠いた麻生氏や首相の言動が、官僚に「政権の奉仕者」たることを強いているようだ。
森友問題だけではない。文部科学省が作成した、加計学園をめぐる「総理のご意向」文書。防衛省が「廃棄していた」と説明し、後に存在が分かった南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報……。安倍1強下での行政のひずみが、公文書管理のずさん極まる扱いに表れている。速やかに正さねばならない。公文書の改ざんをめぐり何があったのか。国有地が安値で売却されたのはなぜなのか。
■政府は情報をすべて開示し、国会で時間をかけて審議し直す責任がある。
問題の全容解明なくして、政治の信頼回復はあり得ない。佐川氏と昭恵氏の国会招致が欠かせないのは言うまでもない。国民の代表として行政を監視する国会も、与野党ともにその覚悟が試されている。