たんぱく質で考古学 進む分析技術

■たんぱく質で考古学 進む分析技術

伊藤隆太郎

 貴重な考古遺産が、科学の力で、違った表情を見せ始めた。分析技術が進み、それまで隠れていたデータをとらえられるようになったからだ。手法の一つ、「たんぱく質考古学」が、新たな歴史解明の糸口になりつつある。

▶︎古代壁画の固着剤、ウシ由来と判明

 エジプトのサッカラ遺跡にある約4400年前の地下埋葬室に、色鮮やかな壁画が残る。だが剝離(はくり)が進み、修復が必要だ。適切に作業するには、材質や製法の解明が欠かせない。

 岩石などを用いた顔料の絵の具の固着剤としては、ゴムや卵白なども考えられた。だが分析すると、ウシの皮から抽出されたコラーゲン(たんぱく質の一種)だと分かった。

 分析したのは、奈良女子大学の中沢隆教授(環境化学)。各地の遺跡や文化財に残る動物由来のたんぱく質を調べ、歴史的な価値をさぐる。「たんぱく質考古学」と命名した。

 コラーゲンは日本画で「にかわ」として使われる画材だ。ウサギやシカから作られる高級品もあるが、「世界各地の絵や墨を分析したが、ウシしか出ない。昔から製法に決まりごとがあったのかも」と中沢さんは想像を広げる。

 壁画の保存修復にあたる関西大学国際文化財・文化研究センターが、分析を頼んだ。吹田浩センター長は結果に感動する。「有機物は分解していると予想されたが、みごとに判明した。古代の生活を生き生きと思い描ける世界的な成果だ」

 日本の遺跡でも中沢さんは取り組む。奈良県明日香村にある7世紀の牽牛子塚(けんごしづか)古墳から出土した豪華な棺を分析すると、中国原産のカイコに由来する絹が使われていた。

 一方、3世紀ごろの奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡から出た巾着型の布製品は、やはり絹だが日本在来のヤママユガだった。「養蚕の起源をめぐる中国一元説と世界多元説の論争に、一石を投じる」と評価されている。

田中耕一さん貢献

 たんぱく質を分析するのは、動物の体を構成する主要な成分だからだ。人体なら7割近くが水分で、残りの半分がたんぱく質。筋肉や皮膚、内臓などがそうだ。

 たんぱく質は、グルタミン酸やアルギニンなど20種類のアミノ酸が数百から数千個、長い鎖のようにつながっている。このアミノ酸の配列が動物によって違う。熱や湿度でも変化するので、保存状態の手がかりにもなる。

 ログイン前の続き配列を調べるには、酵素で適当な大きさに切り分け、質量を測定する必要がある。20世紀から、さまざまな分子の質量が分析されたが、たんぱく質のような複雑な有機物は難しかった。その実現に貢献し、2002年にノーベル化学賞を受けたのが、島津製作所の田中耕一さんらだ。

 田中さんらが開発した質量分析装置の原理は、①切り分けた試料にレーザーなどを当てて気体のイオンにする②気体化したイオンを飛ばして速さをはかる③速さごとに量をはかる――という三つの部分からなる。イオンは重いとゆっくり、軽いと速く飛ぶので、速さの違いは重さの違いに反映され、アミノ酸の種類が判明するというわけだ。

 田中さんは「試料のイオン化」に挑んだ。レーザーをあてても熱などで分解しないように、薬品で結晶化する方法を考えついた。「MALDI(マルディー)」と呼ばれ、中沢さんも高価な装置が大学に入るまでは、島津製作所に分析を頼み、田中さんが担当したこともあったという。

学問の垣根越えて

 ある生きもののすべての遺伝情報を「ゲノム」と呼ぶように、たんぱく質(プロテイン)のすべての情報を「プロテオーム」という。今では動物ごとに配列のデータベースがあり、古く傷んだ試料でも、わずかに残った部分から由来がわかる。とくにコラーゲンは、アミノ酸の鎖が3本束になっているため、丈夫で保存がよい。

 長く風雨にさらされ、最後はタリバーン勢力に壊されたアフガニスタンのバーミヤン大仏を、筑波大学の谷口陽子准教授が調べた。0・1ミリグラムほどの壁画片からコラーゲンの一部を見つけ、ウシだと判明した。

 谷口さんは「殺生を禁じる仏教の遺跡からは、動物に由来する材料は出ないと考えられてきた。初めての成果で、驚くべきこと」といい、当時の王や僧が職人に使わせたとみる。

 壁画は7~9世紀の制作とされ、固着剤としてクルミ油かケシ油の使用跡も見つかった。つまり「油彩画」でもあったのだ。これは欧州を油絵の起源とする定説を覆しかねないと、美術専門家を慌てさせている。

 奈良女子大の中沢さんは最近、先史時代文化についての研究会に出席し、たんぱく質の構造や経年劣化の特徴、見分ける原理などを発表した。理系の立場から、人文系など多様な研究者に協力を呼びかけた。

 発表後、次々と研究者が駆け寄った。明治大学黒耀石研究センターの池谷信之研究員は「赤色の顔料が塗られた縄文土器がある」と話すと、中沢さんも「古代の固着剤が何か、興味深い」と身を乗り出した。

 研究会に中沢さんを招いた名古屋大学博物館の門脇誠二講師は「科学で大切なのは、独立した複数の証拠によるクロスチェックだ。異なる分野の共同研究は、学問的な刺激になる」と話している。(伊藤隆太郎)

アミノ酸 表す記号

 アミノ酸は略号が定まっている。例えば、グリシン=G、アラニン=A、プロリン=Pなどだ。科学論文などで、文字をつなげて配列を表記する。3文字に略す方法もあり、それぞれGly、Ala、Proなどだ。

田中さん、今も現役

 ノーベル賞決定時の作業着姿が記憶に残る田中耕一さんは、今も現役の研究者だ。一滴の血液からたんぱく質を検出し、がんやアルツハイマー病を診断して新しい治療法に生かす研究を進めている。

<アピタル:ニュース・フォーカス・扉(科学・くらし・文化)>

http://www.asahi.com/apital/medicalnews/focus/

■参考資料

 従来の歴史学は、文献史料や発掘調査で得られた資料、伝世品などをもとにして研究が進められてきました。しかしながら、伝世品の中には、製造法や材料に不明なものもあり、文献史料にその製造法や材料が書き記されているものであっても、真偽のほどを確かめるには限界があります。

 「タンパク質考古学創成事業」では、人文及び社会科学的研究課題を、生物由来の原料を含む文化財に残留するタンパク質に着目して自然科学的手法(プロテオミクス)で解決を目指し、新研究分野を開拓することを目指しています。歴史的資料は出来る限り非破壊に扱うことが望まれており、分析試料の極微量化などの問題も存在します。本事業では、歴史的資料に特有な分析手法の開発も同時に行います。

 ライフサイエンスにおいて、プロテオミクスは、特定の細胞器官中のタンパク質(数千種類にのぼる)を網羅的に解析することによって、その細胞器官に関わる生命現象を研究する手法として特に注目されています。
特定の地域または年代の文化財や歴史的遺物に含まれる特徴的なタンパク質を、個別にプロテオミクス技術で解析し、他の地域または年代について解析した結果と比較することによって古代史・環境史などの研究を行うことは、古代の国際的文化・技術交流が解明されるだけでなく、文化財の性質が明らかとなり文化財修復技術の向上などに貢献できることが期待されています。