CAR―T(カーティー)細胞療法

■遺伝子操作でがん攻撃 新たな免疫療法とは

 自分の体内から免疫細胞を取り出し、遺伝子操作でがんを攻撃する力を高めて再び体内に戻す新治療法に注目が集まっている。「CAR(カー)-T(ティー)細胞療法」と呼ばれ、昨年米国で一部の白血病で承認された。日本でも臨床研究が始まっている。

▶︎治療やめてもがんは縮み続けた がんと共生する新治療

 2012年、難治性の急性リンパ性白血病を患った米国の少女に世界の注目が集まった。抗がん剤も効かず、骨髄移植もできなくなったエミリー・ホワイトヘッドさん(12)のがんが消えたからだ。エミリーさんは米ペンシルベニア大のカール・ジューン教授らによるCAR―T細胞療法を受け、5年たった今もがんの再発はないという。

 ジューン教授の研究をもとに、製薬大手「ノバルティス」が急性リンパ性白血病患者のCAR―T細胞療法の治験をしたところ、8割でがん細胞が見つからない「寛解」という状態になった。これを受け、米食品医薬品局(FDA)は昨年8月、「キムリア」と呼ばれるCAR―T細胞療法を承認した。

 人間には体を異物から守る免疫の仕組みがある。T細胞はリンパ球と呼ばれる免疫細胞の一種で異物を認識すると攻撃する。これまでも血液からT細胞を取り出して増やして体に戻す免疫療法はあったが、ほとんどの場合でがんをやっつけることができなかった。がん細胞は体内の細胞が変化してできるため、T細胞が異物として認識しにくいからだ。

 CAR―T細胞療法は、患者の血液からとったT細胞に「キメラ抗原受容体」(CAR)を組み込む遺伝子操作をし、特定の細胞を攻撃対象の異物として認識するように細工する。細工することで、特定の細胞の表面に現れる目印となるたんぱく質「抗原」を認識する。

さらにジューン教授らは、CAR―T細胞が抗原に触れるとスイッチが入って増殖反応を起こし、がん細胞への攻撃が持続するように工夫した。T細胞が活性化されると、免疫などにかかわる細胞間の情報を伝達する物質「サイトカイン」が出て、免疫反応が高まる。T細胞が活性するためのスイッチを入れる物質を作ることに成功した。

▶︎副作用、コストが課題

米国で世界に先駆けて承認された「キムリア」は、リンパ球の一種「B細胞」ががん化することで起きる急性リンパ性白血病のうち、再発やほかに治療法がない25歳以下の患者が対象だ。B細胞の表面にある「CD19」と呼ばれる抗原を認識して、標的にするようT細胞を遺伝子操作した。細工されたT細胞はがん化したB細胞だけでなく、正常なB細胞も攻撃する。人間はB細胞がなくても、B細胞が果たす機能を薬で補えるため、治療が可能になった。

 自治医大の大嶺謙准教授は「患者さんはこの治療を日本で受けられることを待ち望んでいる」と話す。ノバルティス日本法人は今年中に国内で承認を申請する予定という。

 CAR―T細胞療法は、米国や中国でそれぞれ100以上の臨床研究が進められている。国内では自治医大がタカラバイオと共同して悪性リンパ腫の患者を対象に約4年前から臨床研究を進めている。一方、名古屋大と信州大もキムリアとは別のやり方でCAR―T細胞を作る方法を開発し、急性リンパ性白血病の臨床研究を近く始める。

 高い効果の一方で、キムリアによる治療では、副作用も報告されている。「サイトカイン」が過剰に放出されて、発熱や呼吸不全、低酸素症などになる「サイトカイン放出症候群」だ。こうした副作用には、関節リウマチの治療薬「アクテムラ」が有効という。また、神経毒性によって頭痛や意識障害などを引き起こすとの報告や、脳浮腫による死亡例もある。

 高い治療費も課題だ。キムリアは1回あたり47万5千ドル(約5200万円)かかる。他人のT細胞だと拒絶反応が起きるため、CAR―T細胞を作るには患者自身のT細胞が使われる。このため大量生産することが難しく、費用と時間がかかる。

 大嶺准教授は「他人の細胞で作ったCAR―T細胞が治療に使えるようになれば、ストックして必要な時に速やかに治療に使える。コストの低減にもつながる」と話す。すでに海外で研究が始まっているという。

▶︎第4の治療法、発展に期待

 米テキサス大MDアンダーソンがんセンターのジェームズ・アリソン氏や京都大の本庶佑(たすく)特別教授らの研究をもとに開発された「免疫チェックポイント阻害剤」の登場で、がん免疫療法は手術、抗がん剤、放射線と並ぶがん治療の「第4の柱」と見なされるようになった。

 国立がん研究センターの西川博嘉分野長は「CAR―T細胞療法が肺がんや乳がんなどの固形がんでも成果を上げることができれば、免疫療法は大きく発展する可能性がある」と話す。

 米国では10年以上前から神経芽細胞腫や腎臓がんなどの固形がんで臨床研究が始まっている。急性リンパ性白血病では標的となる抗原を見つけることができた。だが、固形がんでは、特定の場所にある細胞だけを狙いうちにできる抗原を見つけるのが難しい。そうした抗原が見つけられないと、T細胞ががんではない臓器を攻撃してしまう。世界各国の研究機関が標的となる抗原を見つけ出そうとしのぎを削っている。最新のゲノム編集技術を使った研究も始まっている。

■参 考

〈キメラ抗原受容体〉英語の頭文字をとって「CAR」と呼ぶ。細胞の目印となる抗原をつかまえる分子に、T細胞の増殖を活性化させる信号を伝える分子を人工的に結合させた。ギリシャ神話に出てくるライオンの頭やヤギの胴を持つ怪物の名前にちなんでキメラと名付けられた。

〈もう一つの免疫療法〉がん細胞は免疫の働きにブレーキをかけ、免疫細胞の攻撃を阻止する。ブレーキを解除することで、免疫細胞の働きを再び活発にしてがん細胞を攻撃できるようにしたのが「免疫チェックポイント阻害剤」だ。皮膚がんの一種、悪性黒色腫などの治療薬「オプジーボ」や「ヤーボイ」などがある。

■がん患者自身の細胞、遺伝子操作で味方に 実用化へ前進

 がん患者の体内から免疫細胞を取り出し、遺伝子操作して攻撃力を高めて戻す新たな免疫療法「CAR―T(カーティー)細胞療法」の実用化に向けた動きが本格化している。名古屋大学病院が、ほかに治療法がない急性リンパ性白血病の患者を対象に厚生労働省の部会に再生医療の臨床研究として申請し、了承された。

▶︎世界を驚かせた新免疫療法、副作用どう減らすかが課題

治療法がなくなって、これまで救えなかったがん患者への新たな治療法になると期待されている。

 患者自身のT細胞と呼ばれる免疫細胞に、がんになったリンパ球の目印を認識させ、がんを攻撃し続ける機能をもたせて体内に戻す。一度の点滴で効果が出るとされる。米国で承認されている同様のメカニズムの薬(商品名キムリアなど)が4千万~5千万円と高額なことでも注目を集めている。

 今回了承された計画は、信州大の中沢洋三教授が考案した独自の技術をもとに名大と信州大が共同開発した。治療費の大幅な削減を目指している。

 国内ではすでに、自治医大がタカラバイオと共同で臨床研究などを始めている。米国で承認されたものや自治医大の治療法は、遺伝子操作にウイルスを用いている。だが今回了承された名大のものでは、ウイルスを使わない高橋義行・名大教授によると、ウイルスを扱うことで生じる安全対策や施設整備のコストを10~15分の1以下に減らせる可能性があるという。名大はまず12人の患者で、副作用の程度などの安全性や効果をみていく。

▶︎臨床研究に情熱を注ぐ 小児科准教授 高橋義行さん(47)


小児がんの治療と研究に情熱を注ぐ高橋義行(たかはし・よしゆき)さん
朝の回診は7時すぎから始める日が多い。その後は外来開始までの時間を利用し、医師全員で論文などを読む勉強会。

 名古屋大病院小児科は昨年2月、小児がん拠点病院に選ばれた。審査の総合得点は全国1位。血液・がん分野だけで常時50人以上が入院するようになり、忙しさに拍車がかかる中、チームをまとめる高橋義行さんのモットーは「臨床も研究も日本一」だ。

 小児がんの治療成績は年々向上しているが、同病院に来る子の多くは、他の病院では太刀打ちできない症例。命を救うため臨床研究に情熱を注ぐ。難治性の神経芽腫で「助かる見込みは数%」だった少女は、ナチュラルキラー細胞を活性化させる特殊な臍帯血(さいたいけつ)移植で全快し、元気に学校に通う。

 この治療法の開発により、神経芽腫の国際学会で5月に優秀賞を受賞した。「看護師らスタッフのおかげ」と感謝する。今後も医師主導治験を進めるなど、基礎研究の成果を臨床で生かすチームづくりを目指す。

 しかし、救えない命もある。7年前には、病棟の多職種のスタッフが定期的に思いを伝え合う場をつくった。治療の難しい子や家族の状況を話し合うことで、終末期ケアの質も高まった。昨年3月、17歳で亡くなった男の子は余命の告知を受けて、終末期の過ごし方を自分で選択。家族、友人、スタッフに感謝のメールを残した。

 高橋さんは名古屋市生まれ。父の転勤で各地を転々とした。名大医学部在学中に父をがんで亡くし、がんの治療と研究に貢献したいと考えるようになった。成人より小児科の血液分野に魅力を感じ、研修先を探す中、名古屋第一赤十字病院(名古屋市中村区)に「臨床も研究も超一流」と評判の医師がいると知り、志願した。その医師が、今の直属の上司・小島勢二教授だ。

 「当時、小児科副部長で昼間は患者さんへの治療、夕方から夜にかけては治療法の研究や論文。その姿に感銘を受けました」

 家には9歳の長男と8歳の双子の長女、次男がいる。休みの日もしばしば呼び出され、わが子と接する時間は乏しい。でも、頑張って闘病する子たちの姿を伝えるようにしている。長女は最近、「お父さんのような小児科医になりたい」と将来の夢を語るようになった。