「遺骸葬」と「遺骨葬」

■「遺骸葬」と「遺骨葬」

関沢まゆみ

 1960 年代以降,高度経済成長期(1955―1973)をへて,列島各地では土葬から火葬へと葬法が変 化した。その後も 1990 年代までは旧来の葬儀を伝承し,比較的長く土葬が行われてきていた地域 もあったが,それらも 2000 年以降,急速に火葬へと変化した。それらの地域における火 葬の普及とそれに伴う葬送墓制の変化について現地確認と分析とを試みるものである。

▶︎第 1,火葬化が民俗学にもたらしたのは「遺骨葬(遺体ではなく、遺骨を安置して葬儀、告別式を行うために、骨葬とよび、 家族で密葬をして、火葬までは済ましておき、後から遺骨を墓に安置すること)」と「遺骸葬(人が死を迎え、その生命活動を停止している状態の体を墓に埋葬すること)」という 2 つの概念 設定である。火葬化が全国規模で進んだ近年の葬送の儀式次第の中での火葬の位置には,

A「通夜 →葬儀・告別式→火葬」タイプと,B「通夜→火葬→葬儀・告別式」タイプの 2 つがみられる。

 A は「遺骸葬」B は「遺骨葬」と呼ぶべき方式である。比較的長く土葬が行われてきていた地域, たとえば近畿地方の滋賀県や関東地方の栃木県などでは,葬儀で引導を渡して殻にしてから火葬を するという A タイプが多く,東北地方の秋田県や九州地方の熊本県などでは先に火葬をしてから 葬儀を行うという B タイプが多い。

<墓地、埋葬等に関する法律(ぼち、まいそうとうにかんするほうりつ、昭和23年5月31日法律第48号)>は、墓地、納骨堂または火葬場の管理および埋葬等が、国民の宗教的感情に適合し、且つ公衆衛生その他公共の福祉の見地から、支障なく行われることを目的として、昭和23年(1948年)に制定された日本の法律である。墓埋法(ぼまいほう)、埋葬法(まいそうほう)などと略される。

▶︎第 2,B タイプの「遺骨葬」の受容は昭和 30 年代の東北地方 や昭和 50 年代の九州地方等の事例があるが,注目されるのはいずれも土葬の頃と同じように墓地 への野辺送り霊魂送りの習俗が継承されていたという点である。

 

 しかし,2000 年代以降のもう 一つの大変化,「自宅葬」から「ホール葬」へという葬儀の場所の変化とともにそれらは消滅していっ た。

  

▶︎第 3,両墓制は民俗学が長年研究対象としてきた習俗であるが,土葬から火葬へと変化する中 で消滅していきつつある。そして死穢忌避観念の希薄化が進み,集落近くや寺や従来の埋葬墓地などへ新たな石塔墓地を造成する動きが活発になっている。これまで無石塔墓制であった集落にも初 めて石塔墓地造成がなされている。火葬が石塔その他の納骨施設を必須としたのである。

 

▶︎第 4,近 代以降,旧来の極端な死穢忌避<しえきひ>観念(「死穢<死という穢れ>ある物に生穢あり」という基本的な姿勢を示.した上で、呼吸が止まった時点を以て死穢(しえ)の発生を認定するように、出生の 時に産穢は発生するとの考えにきらって避けたいということ)が希薄化し喪失へと向かっている動向が注目されているが,そ れを一気に加速させているのがこの土葬から火葬への変化といえる。旧来の土葬や野辺送りがなく なり,死穢忌避観念が希薄化もしくは喪失してきているのが 2010 年代の葬送の特徴である。

■参考資料より