Ⅱ・音楽から美術へ(抽象に向かう美術)

■Ⅱ・音楽から美術へ・2・抽象に向かう美術

 1890年、ナビ派のモーリス・ドニは『美術批評』誌上で「絵画が、軍馬や裸婦や何らかの逸話である以前に、ある秩序で集められた色彩で覆われた平坦な表面であることを、思い起こすべきである」と述べ、絵画の自立をうながす発言を行いました。その原点には、印象派を経たポスト印象派の絵画、特にセザンヌの革新的な作品が あったといえるでしょう。

 この「ある秩序」の構築が、20世紀初頭の前衛美術運動の目的の一つです。ナビ派(19世紀末のパリで活動した、前衛的な芸術家の集団。「ナビ」はヘブライ語で預言者を意味する)は装飾性を強めて、抽象へと向かいました。注目すべきは、パリで詩人ステファン・マラルメのサロンに、文学者や詩人たちはもちろん、ナビ派などの美術家たち、そして新進の音楽家たちが集い、詩を通じて美術と音楽の間の相互交流が繰り広げられたことです。マラルメが豊かなイメージをつむぐ言葉を積み重ね、さらに言葉を舌へと解体し、詩句の視覚的な配列をも精査する、詩作上の革新を成し遂げていく傍で、美術も音楽も自らを規定している純粋な要素とは何かを追求していきまもたとえばルドンが神話の人物や花々の姿を用いつつ、夢幻的なイメージを醸成したとき、それぞれの要素は、神秘的なシンボルの役割を担うようになります。この象徴主義の運動は、印象派とポスト印象派による新しい視覚表現の可能性の追求を経て、キュビスムやフォーヴィスムへと向かうフォルマリズムの流れと平行しています。そして、キュビスムが透視図法を用いた空間の構築を離れ、新しい構成原理を探究したとするならば象徴主義の流れは、ものの固有色にも、また周囲の光を受けたひとときの現象である反射する色にとらわれ紫色彩固有の輝きや動きのある線によって感覚に訴えるフォーヴィスム表現主義へと結実していきます。

 この二つは遠近法に基づく写実表現を離れて抽象化に向かう点では共通していますが、複数の視覚を同一画面に組み合わせる、知的な分析であるキュビスムと、内面表出的で精神主義にも結びつく表現主義の両方にその道筋が分かれたのだといえるでしょう。

 「青騎士」の作家たち、すなわちカンディンスキーやフランツ・マルクと、そこに迎えられたクレーは、ドイツ表現主義から出発して抽象表現に向かっていきます。1900年代から1920年代にかけてカンジンスキーとクレーが抽象化を進めていく過程では、音楽が決定的な役割を果たすこととなります。

 

 1908年から10年にかけて、作品の抽象化を徐々に進めていたカンカンスキーは、1911年1月1日、演奏会でシェーンベルクの弦楽四重奏曲第2番(作品10、1907−08年)と《3つのピアノ曲》(作品11、1909年)を聴いて感動します。シェーンベルクが調性を離れて、メロディーの進行や音の組み合わせを自由に行い、不協和音や飛躍した音を用いて作曲していることに、対象から線や色の要素を純粋に取り出して制作する自らの挑戦と共通するものを感じたのです。とりわけ、幾何学的な構成に替わる構成原理を模索していたカンカンスキーにとって、各声部の生命感は啓示となりました。カンジンスキーは、冷たく数理的な秩序ではなく、表現主義的で暗示的な性格をシェーンベルクの作品に見出したのです。

 シェーンベルクは1921年より12音技法という、調性音楽を乗り越えるシステムの構築へと向かいました。これは従来の長音階と短音階を用いて、和音進行により曲の展開を定める方法から脱し、オクターヴの間の12の音を均等に扱い、しかも使用される音の並べ方について法則を設ける理論です。カンディンスキーの様式も、非対象の表現主義的なスタイルから、1922年には基本形態への還元、原色への還元へと変化し、バウハウスの教授時代(1922−55年)には、多くの色を並立的に用いて、線や円や三角形や四角を記号的に配置して実験を重ねていきます。

 パウル・クレーによる美術と音楽の関係の研究は精緻を極めました。彼は18世紀の音楽が到達した、高度に規則的でありながら多彩であるという点に、音楽の頂点を認めていました。クレーの念頭にあった作曲家はモーツアルトであり、さらに遡って複数の声部を組み合わせる対位法や、複数の旋律が同時に進行して絡み合うポリフォニーを駆使したバッハでもクレーは、フックスの『パルナッソス山への階梯』(1725年)が、古典派の音楽の規則を教え、実践に役立つ点に注目し、美術の分野で18世紀音楽理論に匹敵する、純粋で抽象的な造形理論を樹立することを目指しました。それは、1920年代に「ポリフォニー絵画」として結実しています。

▶︎Ⅲ・間奏曲 音楽のある情景

 音楽の純粋で抽象的な性格を規範に絵画の抽象性を高めようとする、あるいは、音楽そのものを絵画表現に写し取ろうとする動きは、20世紀の初期に顕著に表れました。一方、歌唱したり楽器を奏でたりする人々の音楽演奏のシーンを描写すること、または楽器のある空間を描いて、そこに流れる苦楽を想起させることも行われてきました。第3章ではこのような演奏の様子や楽器を描いた作品をご紹介します。

 西洋美術の歴史をひもとくと、教会の典礼に音楽が不可欠であったことから、中世末期より盛んに天使の合奏図が描かれ聖女チェチーリア音楽の守護聖人としてオルガンと共に頻繁に描かれていまも時代を追うにつれ、祭りや市場などの賑やかで世俗的な演奏のシーン、豊かな市民生活を彩る舞踏会や合奏の図などが登場して、楽奏を市民が楽しむようになったことが伝わってきま丸また、重要な主題であった「五感」のうちの「聴覚」を表すために楽器を画面に配置する、あるいは音楽が感覚的に訴える力が強いことから、快楽と結びつけられ、これを戒めるという主題に託して楽器のモチーフが描かれるなどの象徴的役割も担ってきました。さらに近代では演奏という画題はサロンや演奏会場などの社交の風俗を写し出し、時には親密な空間をつくるモチーフきしても描かれています。

 出品作品は、近代以降から選んでいます。は女性ヴァイオリニスト、エヴァ・ムドッチがピアニストのベラ・エドワーズと行うコンサートの情景を描いています。そこにムンクのエヴァに対する憧れと、さらに心理的な距離を読み取ることもできるかもしれません。点描により清新な色調を作り出した南城一夫は演奏の場面をしばしば取り上げて夢のような音楽のイメージを膨らませました。

 楽器はまた、特異な形をもち、そのおもしろさが作家たちを引きつけるようで黙そして演奏者は演奏する楽器特有の性格を帯びていると見なされることもあります。空想力豊かな泉茂は音楽のモチーフを好んで取り上げており、出品作品では楽器ごとに機知に富んだイメージを加えて、それぞれに面白い性格を与えています。

 最も大規模な演奏場面であるオーケストラのシーンは、デュフィによってその絵画的表現の可能性が示されました。《ティンパニー奏者とオーケストラ》は、リハーサルなどに舞台の裏手でスケッチし、ティンパニー奏者の位置からオーケストラを見るという珍しい視点から描かれていま丸ティンパニー奏者の左手で細かいトレモロを奏しながらピアニストとタイミングを合わせているのか、という臨場感にあふれる、演奏会の開かれる劇場の雰囲気を伝える描写となっています。

▶︎Ⅳ音楽への誘い

 この章では、第二次世界大戦後の音楽のイメージを、さまざまな形に転換して、その楽しさや喜びへと誘う性質をもった作品をご紹介します。

 ジャズは、ブルー・ノート、シンコペーションのリズム、即興性の要素と、戦後に興隆したことなどから、クラシック音楽と比べて、より現代的でありモダンな生活のスタイルと強く結びついています。戦後社会を写し出す独特の様式を生んだ鶴岡政男は、ボンゴを叩き、採取した音でテープを作るほどの音楽への傾倒が知られていますが、すでに戦前に《リズム》を制作しています。カンディンスキーの影響を受けた有機的なかたちが、律動しながら自由に進行していくような、まさしくリズムが体感されるような作品です。また、マティスによる幾つかの主題をとらえた切り紙絵を集めた作品集に『ジャズ』の題名が選ばれたのは、切り紙絵を動かして配置を定めていったという、色と形の織りなすリズムの豊かさが、ジャズの自由で開放的なイメージと合致するからに他なりません。国際的なジャズの祭典であるモントルー・ジャズ・フェスティヴァルのポスターでは、毎回異なるデザイナーが選ばれて個性を競いますが、その多くには、ジャズの持つ祝祭のムード、複数の楽器が掛け合う様子、運動感などをとらえようとする傾向が現れています。

 戦後のスイスではバウハウスの流れを継承するモダン・タイポグラフィが花ひらいています。マックス・ビルは、デッサウのバウハウスで3年間学び、カンディンスキーの評論集の編纂も行い、さらにデ・ステイルの理論も学んでおり、この他に平面における要素の相互関係を徹底して追求するデザイン理念を伝えました。

 続く世代に属するミュラー=ブロックマンは、スイスのモダンデザインを確立した中心人物として、チューリヒ管弦楽団の本拠地である音楽ホール、トーンハレのポスターを中心に、1950年から72年にかけての長きにわたり音楽のポスターを制作しています。ミュラー=ブロックマンは、音楽会のポスターに求められる文字情報と、斜めの構造や円の重なりや螺旋形などを結び付け、音楽の「構造」や「動き」を連想させる全体のデザインを生み出し、遂にはタイポグラフィのみによる、知的でシステマテイツク(組織的な、系統的な)なデザインを確立しました。

 具象性を排し、洗練された記号的な表現によるこのようなポスターのデザインは、音楽会ポスターの一つのタイプとして現代にも受け継がれています。もちろん、「ウィーン=音楽の都」という連想に応えるため、楽器の一部を巧みに切り取ったファビガンの作品などに示されるように、明確なイメージを伝える楽器のフォルムも音楽のポスターに多く選ばれています。