教育は政権の道具か

■教育は政権の道具か

 自民党の憲法改正推進本部が、改憲素案のうち教育に関する部分を大筋で了承した。教育を受ける権利を定めた現行26条に、「国は教育環境の整備に努めなければならない」とする努力義務規定と、「経済的理由によって教育上差別されない」という趣旨の文言を付け加えるという。

 

 だが、どちらも今の憲法と教育基本法に既に織り込まれているものだ。憲法を改めなければ実現できないものでもない。なぜ、付け加えが必要なのか。必要ないと思われるが不思議である。

 26条は、教育制度や学校などの環境を整える義務を国に負わせている。このことはさまざまな憲法の教科書に書かれ、異論なく定着している解釈だ。

 そして26条は「その能力に応じて、ひとしく」教育を受ける権利、つまり機会均等をうたっている。これを受けて教育基本法4条は、人種や信条、性別などと並べて、経済的地位によっても「教育上差別されない」と明記している。素案はこれをなぞったにすぎない。

 政府は昨年、大学や専門学校の学費負担を減らすため年8千億円を支出する方針打ち出した。それでも対象は進学者の2割程度にとどまるとみられる。「教育の機会均等」の前に立ちはだかるのは財政難であり、憲法をいじっても解決しない。

 政権がなすべきは、いまの憲法にのっとり、授業料の減免や奨学金制度の充実などに地道にとり組むことだ。

 教育無償化をめぐる改憲論議は、昨年5月に安倍首相が急に強調しはじめて本格化した。「全ての教育の無償化」を唱える日本維新の会を意識したもので、今回の素案も、同会が2年前に発表した改憲案文の一部を改変し、取り込んでいる。

自民党憲法改正推進本部は2018.2.20午前、執行役員会を開き、教育無償化をめぐる憲法26条の改正条文素案が提示された。出席者から異論が出たため一部修正し、21日の全体会合での了承をめざす。

 素案は、教育を受ける権利などを定めた26条の1項と2項を維持した上で、3項を新設。国に教育環境を整備する責務があるとする努力義務を規定する内容で、「国は、教育が国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないものであり、かつ、国の未来を切り拓(ひら)く上で極めて重要な役割を担うものであることに鑑み、教育環境の整備に努めなければならない」とした。

 昨年末の論点整理では1項も改正し、「経済的理由によって教育を受ける機会を奪われない」と追記するとしていたが、素案から削除されていたため、異論が噴出した。


 改憲勢力に維新の会をつなぎとめ、自民党にとっての「本丸」である9条改憲への道を探る。そんな思惑が先に立った作業であるのは明らかだ。

 教育を大切に思うのなら、その教育を「改憲の道具や口実に使う」のはやめてもらいたい。

 もうひとつ、見過ごせない点がある。素案は教育が「国の未来を切り拓(ひら)く上で極めて重要な役割を担う」から、国は環境の整備に努めるべきだ、という筋立てになっている。

 この考えは危うい。「個人の人格の形成という教育の本来の目的」を後景に追いやり、国の介入を強める根拠になり得る。産業の発展や競争力強化に役立つかどうかで、学問や研究を選別することにも通じかねない。

 「個々の学ぶ権利を社会全体で支える。」 この原点に立つ現行憲法の簡潔な条文が、最も良い

■事例・子どもの権利(スエーデンの場合)


■事例・働き方・子育て社会(オランダの場合)