日本人の美学 

■日本人の美学 五つのキーワード

 世界共通の美意識としては「対称」があるが、日本人は「非対称」にも美を求めてきた。これらの二つの美意識に、美学と心地よさを感じるのは、我々日本人が、相反するものに美を感じてきた歴史の上に、今があるからにほかならないのである。

 「余白の美」、「非対称」、「歪み・不完全」、「拡大・縮小」、「暈す」の五つのキーワードで日本の美の特質を明らかにするものである。

■余白の実=間を空ける

 模様で画面を埋め尽くす、いわゆる埋め尽くし表現は世界中の遺物の中にあふれている。

 もちろん日本においても縄文土器などの模様を見ると全面にこれでもかと圧痕(あっこん)模様が施されている。これは空間を空けておくことは恐怖であることの一つの回答なのかもしれない。

 その中で日本の感性として、空間を大胆に空ける美学が成立するようになった。土器の変遷で見ると、埋め尽くしの縄文土器から、すっきりと空間を活かした対称の弥生式土器、その後の土師器(はじき)、須恵器は空間を意識した造形となる。これらの弥生式土器以降は大陸、半島との交流の結果であることを確認しなければならない。

■日本語での発音「ま=MA」についての考察

 言語学着ではなく物創りの立場からその論点を考えてみたい。 英語では、空間の間をSPACE、時間の間をPAUSEあるいはINTERVALと書き、MAという言葉のように一つの文字で時空のMAを表す言葉は、中国語(空間、時間は漢字語である)でも、英語でも無いのである。英語での間を表すWHILE時間を表すが、空間では考On the other Hands(一方)の意味である。

 日本語の発音でのMAは距離も、広さも、空間、時間も表す。これは一次元、二次元、三次元、四次元のすべてを表す言葉であり、点、線、面に時間が加わるということはまさに芸術そのものなのである。

①日本語の間=ま=マ=MAについて考察したい。

◉空間の間〔物と物との間(あいだ)、隙間(すきま)をいう。〕

 

空間を表す言葉にはMAという発音がつくものが多い。 山=やま、浜=はま、島=しま、天=あま、海=あま、縞=しま、隈=くま

◉時間の間〔事と事との間(あいだ)、暇(いとま)をいう。〕

時間を表す言葉にもMAという発音を持つものが多い。 暇=ひま、今=いま、手間=てま、居処間=いとま、多間=たま、黙=しじま、蓬=とま、侭=まま

 

◉正しいこと、本物、真実、強調を表すときのMA=ま

真面目=まじめ、真事=誠=真=実=まこと、全う=まっとう、まったく、真っ黒、真っ白、真っ赤、真っ青、

◉霊力に関係するMA=ま

  玉、珠=たま、魂=たま、霊=たま

②MAについては日本人が普段使う言葉でもさまざまな表現、言い回しがある。

◉間が悪い・間が良い   人間関係のタイミングを表す

◉間が抜ける・間抜け   良い間の取れないことを言う

◉間違い         違っていることを強調する

◉間延びする       間が長すぎること

◉間近          時空両方を表し、すぐのこと

◉間に合わない      時間に到着しないこと、使えない、その場に合わないこを表す(足りないこと)

◉迷う=ま、よう=間酔う   空間を理解できない様をいう

◉参る=ま・いる=聞入る   相手のところに行くこと、相手の手の内に入りこむこと

◉不味い=ま・ずい=真ずい  味が足りないことを表す

◉拙い=ま・ずい=間ずい   下手だ、出来が悪い、醜い (見にくい

◉回る=ま・わる=間割る   間を割っていくこと

◉まっすぐ=−具すぐ      直線という意味と近い距離感を表す

               人の心が曲がっていないことを表す

◉まさか=正か=斗具道か   本当?、正しい?

 日本人がMA=マという一言をいかに大事にしてきたかが、これらの言葉の中から理解できる。そして日本人は間を空けるという表現を多用するようになるのである。この美意識はどこからきたのだろうか。私の推論であるが論点について述べておきたい。

(1)自然の広さの違い 

 大陸では遠くに目をやると遥か彼方の地平線まで見渡せることがある。何事も広く大地と空しか見えない所が多い。それに対して日本は狭い島国であり、すぐに山が迫り、木々が茂り、川があり、海が見える。

 この日々見慣れている自然な風景の空間の広さは、人が作り出す表現に大きな違いをもたらす。周りが広いところに住む人の芸術は、空間を空けることよりも、埋め尽くすことを良しとする。それに対して自然造形物がすぐに迫ってくるこの列島に住んでいる人にとっては、芸術作品の中にこそ豊かな広がりを求めるのである。

(2)建築様式の違い

 西洋、中近東の建築は石積みの壁日干し煉瓦で積み上げていく。四方は壁で覆われて、アーチが風の出入り口を確保する。日本の縄文時代の建築は、柱組が中心であり、地道ではない。彼の仏教寺院などの巨大な建築にしても、柱を中心に壁を造る。これらの様式は中国大陸から入ってきたのであるが、特に日本の夏の高温多湿を乗り切るために、最小限の壁を作り、障子や、戸などで空間を外せる構造になっている。自然を遮断し、零 ではなく、生活空間として一体化する思想が、空間を空けていくという美意識を生み出すのであろう。

■非対称

 日本人の美意識を語るにもっとも理解しやすい表現である。世界中の美意識は対称を好むという考え方の正反対の論理である。世界中の宗教建築(キリスト教、仏教、イスラム教など)宮殿建築は基本的に対称性を持ち、建造されている。これは安定、永遠性、荘厳、威厳、厳粛などをイメージきせるからである。

 各地において発掘される遺物の装飾を見ても左右相称のものが多い。この美意識は世界共通であることは、自然界においても、蝶などの羽の模様、鹿などの角は左右相称の方が、生きるエネルギーが強く、異性に選ばれるということで証明ができるのである。

 弥生、古墳、飛鳥、奈良、平安前期に中国大陸、朝鮮半島を通して日本に入り込んできた美の表現は、ことごとく対称で、空間を埋める美意識であった。日本では平安時代の後期に入ると反対の美意識のものが多く作られるようになった。平安期の人々は何をもって、この非対称を求めたのであろうか

 具体的には以下のとおりの構図を作り、表現をする。

◉構図を非対称とする。 

◉線対称、点対称、回転的対称模様展開は好まない。

 これらの美意識は、絵画や工芸のデザイン意匠の中に顕著に現れてくる

 日本人の自然観が大きくかかわっていることは理解できることである。この自然観は、自他作り変えなくても人々に十分な恵みをもたらしてくれるという考え方からきている。日本列島は、四季に恵まれ、少し歩けば山の幸、海の幸に恵まれていた。毎日の食料を得るために、自然に大きく手を入れる必要が無かったからである。他の国々においては、自然が有り余る食料を提供てくれることは少なく人間が自然を造り替え、手を入れて、食料を得る必要があった

 灌漑農耕をするために自然の風景を造り替えるということは、美しさは、きちんと区画分けれた対照的な世界であるということである。この人間が自然より優位に立つという考え方は、日本に住んでいる人には、毎日の生活の中で、持つ必要が無かったのである。日本文化を支え、創り上げた縄文期の自然は落葉広葉樹林文化である。まっすぐと対称形にびる常緑針葉樹の木々が造る左右相称の風景とは全く違う表情を造り上げていた。その中に暮らしていたことがこの左右相称から逸脱した美を創り上た要因の一つなのかもしれない

■歪み、不完全

 弥生時代の計画経済に入るまでの日本人が、自然を造り替えることをしておらず自然のままのゆがみや、いびつ、非均衡に美しさを求めていったのではないだろうかと思っている。

 

 伊勢神宮などのように20年に一度作り替えることで技術も感性も伝承し続け、常に新しいのに価値観を求める日本の美意識があるが、滅びゆくもの、歪んでいるもの、壊れかけているもの、完全ではないものに美の価値観を見いだすことも日本文化の特色である

 日本列島が常に新しい命を生み出し、四季に応じて食に対しての有用な命を与えてくれる世界を見てきたことで生まれた感性なのかもしれない。命は輪廻し、必ず生れ変るという考え方を持ってきたことで、先に生まれた子どもは圭棺の中に入れて人が必ず通る入り口に埋めていたことも、このことを物語っている。また母親の胎内に戻り、再び生まれ変わって欲しいということなのである。

 

時間の経過で擦れたものの美を愛でる漆器に根来塗がある。これは黒漆の上に貴重な顔料(水銀朱)を入れた朱漆を一回薄く塗った器が、長い間使う中で薄くなり、少しはげて下の黒漆がみえている状態こそ美の神髄であるというものである。

 これは完成したときは確かに美しいが使いながら美を増していく、新たな美を創り上げていくという美意識の一つなのである。

 この世の命ははかないが、必ず何かの形で生まれ変わること、例えば 『花咲か爺さん』の立木を切り、木を燃やした灰を木に掛けたら桜の花が満開に咲くのである。

 縄文土器は轆轤造形ではなく、輪積み造形で回転体の器を作り上げる。これは厚さが不均衡あり、野焼きの火の当たり方で、わずかに歪みを持つ。このことも美意識の一つなのである。

■拡大、縮小

 対象物を拡大や縮小して、劇的な画面構成を好む。これが顕著に現れるのは浮世絵の大胆画面構成の中で認識できる。ダイナミックな動き、斜めの構成、極端なまでの構図上の拡大と縮小、強調と朦朧隣り合わせの色彩の対比視点の移動の大胆さなど、これらはそれまでの表現世界には無かったものであり、見る人の目を引きつけ、その人の心を奪い、目に焼き付けてしまう。

   

 ヨーロッパにおいての日本の美への賞賛は、漆器や磁器を輸出するときに保護のためにくりでいた浮世絵の画面に影響されたことが元になるのである。このような画面構成は源氏物語絵巻などの時間軸を超えた表現、吹き出し屋台の上から描く世界や、鳥獣戯画などの画面構成が元なっているのである。

 

 日本の漫画のこま割りなどもこれらの構成の影響を強く受けているために、印象的な紙面上関することができるのである。

■暈(ぼ)かす

 日本語では「ぼかす」と発音する。物事を明確に、はっきりと表現するという美学からは正反対である。日本の水蒸気の多い気候風土が、日本独特の空間表現を生むのである。これはギリシャ、エジプトなどの乾燥した地域や砂漠地方などの湿度の無い国々とは大きな違いである。

 土中の水分は温められると霧、霞、霧、雲になる。海水は温められると空に上り雲になり飽和状態になるとやがて雨になって降ってくる。これが氷点下になると雪になる。日本列島は四方を海に囲まれているために水分の多い国土である。

 この水分があるがゆえに、風景はぼんやりとぼやけて見える。これが日本人の空間意識に強く結びつく。

 その結果、はっきりとしない、曖昧模糊で、明確でない空間を作り、奥行を表現する。このぼやけた感じを、装飾的効果として表現する。たとえば、雲の形を描いて画面に距離感をもたのである

 遠くのものを暈していき、霞の中に消してしまうのは「八雲立つ」という枕詞そのもので暖昧模糊とした空間は霞の向こうにある何かを想像させる力を秘めている

 この効果を出すための技法には、次のようなものがある。

◉湊(にじみ)    輪郭をはっきりさせずに描くなど

◉垂込(たらしこみ) 色の中に他の色を落としこむなど

◉斑(まだら)    色や濃淡が入り混じっていること

◉牽(ぼかし)    薄く、淡くして変化のさまを描くなど