歴史奪う、公文書改ざん

■歴史奪う、公文書改ざん

 磯田道史さん、保阪正康さん、星野智幸さん

 財務省が公文書を大量に改ざんしていたことは、社会に大きな衝撃を与えた。そもそも公文書を改ざんすると何が起こるのか。後世の人々が文書を読み解いて紡ぎ出す歴史はどうなるのか。

■記録軽視の悪質な行為 

磯田道史さん(歴史学者)

 歴史家として過去の様々な記録を読むと分かるのは、江戸から明治までの日本ログイン前の続きは、細かく正確に文書を残す記録大国だったということです。その国がいま「改ざんする」「うそを書く」「残さない」という公文書3悪で歴史に残る問題を起こしてきました。

 江戸時代に細かく記録を残すようになったのは、農民と武士が離れて暮らすようになり、武士が統治の役割を担うようになったからです。武士は、領地での出来事の細かい記録を積み重ね、よりよい統治を行おうとしたのです。

 250年を超える江戸時代に日本人に染みついた記録をとる癖は、明治時代に力を発揮します。福沢諭吉や岩倉具視の海外使節団が残した西洋の詳細な記録は共有され、急激な近代化を支えました。

 しかし日露戦争に勝ってから記録の軽視が始まり、太平洋戦争の時代にはひどい状態になりました。台湾沖航空戦では、実際には米軍の空母と艦艇を撃沈できていないのに、「多数沈めた。大戦果だ」と国民に伝えました。うその情報を基に立てた作戦で南方の島に送り込まれた兵は、いないはずの米艦隊に遭遇して多数が戦死しました。

今回の公文書改ざんは、国が主権者たる国民から歴史を奪う悪質な行為です。「首相案件」と言ったか否かが問われている柳瀬唯夫・元首相秘書官(現・経済産業審議官)は「記憶にない」と、面会の事実を認めていません。

 ただ、こうした問題でも、各省や愛媛県に残っていた文書の記述で、事実が明らかになってきました。財務省の福田淳一事務次官によるセクハラ疑惑辞任も、音声記録の存在が決め手でした。文書や記録が残っていることはとても重要なのです。

 政治家と公務員は暴れ馬です。乗る国民がそれを操縦するための手綱が公文書です。しっかり制御しなければ、馬とともに崖から転げ落ちて死んでしまう。歴史的検証に堪える行政をし、その正確な記録を、国民に提供するべきです。正確な記録があれば、我々は、国としてどこに向かうかを決めることができます。

 文字に記録された王がいる国らしきものが九州にできて約2千年。議会政治になって130年足らず。国民主権になって70年余り。一連の問題で公文書への高い意識が生まれつつある。日本の進化の歴史の一つだと思いたいです。

 ちなみに、記録文化があった幕末にも、うその文書が出されたことがありました桜田門外の変です。大老だった井伊直弼の首を民衆が見ていたのに、井伊家は、直弼は生きているという偽りの文書を出し幕府は天下万民の信用を失って倒れるきっかけとなりました。見えているものに対してうそをついたら、政権は短命化する。歴史が証明する教訓です。

 (聞き手・後藤太輔)

 いそだみちふみ 70年生まれ。国際日本文化研究センター准教授。専門は日本史学。著書に「武士の家計簿」など。

■首相に回想録義務づけを

保阪正康さん(ノンフィクション作家)

 戦前が終わり戦後が始動した1945年8月。日本各地で起きたのは、役人や軍人が公文書を大量に焼却する事件でした。戦争責任を隠蔽(いんぺい)する組織的行為です。陸軍省や内務省など多くの官庁で、庭から煙が立ち上りました。

 目的は、連合国側による責任追及から逃れるためでした。米・英・中が日本に降伏を勧告したポツダム宣言は、戦争犯罪人は処罰されると宣告していました。責任追及を恐れた政府や軍の指導層が、資料の焼却を指示したのですその指示自体も隠蔽しようとする徹底ぶりでした。

 公文書はなぜ大切か。その重要性は、戦争指導者を裁く東京裁判でも明らかになりました。不当な戦犯容疑だと被告側が自らの潔白を証明したくても、証拠となる公式記録を焼却していたのです。仕方なく雑誌や新聞の記事を法廷に提出する者もいました。

 公文書が焼かれた国には、歴史の空白が生まれました。戦争の政策がいつどう決定され、どう進められたのか。戦後に国民が知ろうにも手がかりとなる記録がないのです。

 米国は敗戦直後の日本に、戦略爆撃調査団という大規模な調査組織を送り込みました。戦争政策の決定過程や被害実態などを、要人から聞き取ったり埋もれた資料を探したりして調べ上げたのです。

 悲しいことですがその報告書は、“あの戦争”を日本人が知る貴重な資料になりました。ただ、米国の視点で書かれたものです戦後の日本では、ジャーナリストや研究者が空白を埋める作業をしました。関係者へのインタビューや、要人の日記の分析から、史実を固めてきたのです。

 80年代に私は、米国の国立公文書館へ行きました。「なぜ米国は戦争について実証的に調査したり、その記録を公開したりするのでしょう」と尋ねると、担当者は「納税者への義務ですから」と答えた。政府が戦争という政策に税金をどう使い、成果はどうだったのか。国民への報告は当然だ、というのです。

 私たちは確かに、為政者に政治を任せます。ただ、歴史を確定させる権限までは渡していないはずです。戦前も今も日本の為政者に欠けているのは歴史への責任意識、歴史への良心だと私は思います。

 たとえば、首相が退任したら5年以内に回想録を公表するよう義務づけることから始めてみてはどうでしょう。米国ではしばしば大統領や側近がすぐれた回想録を発表しますが、日本の昭和史の特徴の一つは、首相が回想録を著す例が少ないことだからです。

 誠実に書かない元首相もいるでしょう。ただ、執筆に備えて資料を残そうとはするはずです。そうした回想録や資料は、国民が歴史の教訓とは何かを学ぶ機会になると思います。

 (聞き手 編集委員・塩倉裕)

 ほさかまさやす 39年生まれ。昭和史や戦争史に詳しい。著書に「昭和陸軍の研究」「秩父宮」など。

■国家が言論を独占、危惧 

星野智幸さん(作家)

 私は言葉を扱う仕事をしています。その立場から、公文書改ざんは国家が言論を独占する行為だと、危惧します。

 言葉には、憲法や法律などの「公の言葉」と、私的な内面を表す「個人の言葉」の2種類があります。

 官僚は本来、法を守って仕事をし、公文書にはその過程を感情を排して厳密に記録しなければなりません。今回の改ざんで、官僚は恣意(しい)的に言葉を書き換えました。公の言葉が法ではなく、官僚個人の意思で決まったのです。個人の言葉が、公に奪われかねない事態だと僕は考えます。

 例えばあなたがセクハラに遭い法的に訴えるとします。あなたは、事実を公文書に記述して欲しいだけなのに、官僚が「あなたの言っていることはこういうことです」と書き換えを始めたらどうなるでしょうか。私たち個人の言葉は、恣意的な公の言葉に置き換えられてしまうのです。

 公文書改ざんが日常的な世の中では、個人の言葉は公の言葉に常に置き換えられ、公の言葉に沿わない個人は抑圧されます。それを目にした人々は、公の意図に合わせようとし始めます。すると、街頭でインタビューしても、「偉大なる将軍様のお陰です」という公式見解しか言えなくなる。個人の言葉の消滅です。

 公の言葉による歴史のねじ曲げは、SNS時代のいま、急速に広がっています。トランプ政権のやり方は、事実かどうかより、「恣意的な内容を大多数に信じさせる」ことで既成事実化してしまうことです。唯一対抗できるのは公文書とメディアですが、公文書がねじ曲げられればメディアも太刀打ちできません。

 「警察や軍という物理的な暴力」と「言葉」の2本柱を公が独占したら、完全な独裁国家が誕生します。

 例えば僕は05年に「在日ヲロシヤ人の悲劇」という小説を書きました。9・11後の近未来を生きる家族の話ですが、海外派兵に反対する主人公が、世間から「左翼」の批判を受け殺されます。これに近いことが今、起きつつあるのではないでしょうか。

 大正デモクラシーで自由に政治批判が出来た時代から、特高警察の取り締まりで皆が黙る時代になるまで、たかだか5年や10年です。強権化が進む世界の潮流に乗れば、日本もあっという間に時代が逆戻りする可能性があります。

 流れを止めるにはまずは人々が言葉の書き換えや改ざんに関心を持ち続けることです。そして自らが二極化のどちらかに陥らないことも大事です。今は「善」と「悪」が二極化し、「悪」なら全部悪いとなってしまう。でも実際は官僚の中にも、改ざんや隠蔽(いんぺい)をやめようと闘っている人がいます。こうした人たちを排除せずに力に変え、議論していくことが大事です。

 (聞き手・岡崎明子)

 ほしのともゆき 65年生まれ。「目覚めよと人魚は歌う」で三島由紀夫賞、「俺俺」で大江健三郎賞。最新作に「焔(ほのお)」。