生物工場

■生物工場

 植物や微生物などに有用な物質を作らせる“生物工場”に注目が集まっている。遺伝子組み換えで、イネに花粉症予防成分、イチゴに歯周病治療薬を作らせるのだ。世界で開発競争が激化する中、日本の切り札はカイコ。5千年にわたる交配の結果、他の生物を圧倒する高いタンパク質合成力を持ち、抗がん剤やワイヤーより強い糸など、複雑な物質も生み出せるという。養蚕農家とタッグを組んだ研究も始まっている。日本の戦略に迫る。

■薬も素材もつくり出す! 驚異の“生物工場”

 最近、歯周病にお悩みのチャーリーくん、6歳。

獣医
「チャーリー、これなめて。おいしいね。」

▶︎歯ぐきに塗っているのは、最新の治療薬。

 この薬、これまでの概念を覆す工場で作られています。
それは、なんとイチゴ!イチゴが「工場」って、どういうことかというと、イチゴの細胞に犬の遺伝子の一部を組み込みます。炎症を抑える物質を作るものなんだとか。すると、炎症を抑える物質がたくさん作られるんですって。これをすりつぶして凍結乾燥すると、犬の歯周病薬になるんです。
このように、生物に別の生き物の遺伝子を組み込み、有用な物質を作る工場に変えてしまう技術。「生物工場」と呼ばれています。ほかにも、大豆やヤギが薬の工場になったり、大腸菌がプラスチック工場になったり。驚くようなことがすでに実現し、画期的な医薬品や素材が続々と作り出されているんです
生物工場は世界でも大注目。2020年には、4兆円規模の市場になると試算されています。

▶︎米バイオベンチャー 研究員
「非常に興奮しています。生物による、新たな産業革命です。」

 これらの動物や植物、これらは全て生物工場として実際に使われている生き物なんです。

田中:VTRでご紹介したイチゴ以外にも、例えばヤギの遺伝子に、私たち人間の血液サラサラ成分を作り出す遺伝子を組み込むと、ミルクの中に血液が固まって血栓ができるのを防ぐ「抗凝血剤」を作ることができます。また、微生物である大腸菌も生物工場になるんです。この遺伝子に、樹脂を作る特殊な菌の遺伝子を組み込むと、なんと大腸菌がプラスチックを作り出すようになるんです。

 薬もモノも、何でも作り出してしまうという生物工場。私たちの身近なところにもどんどん広がってきているんです。

 千葉県にお住まいの、伊藤さん一家。今日も家族そろって夕食です。

 伊藤博明さん「うん、おいしい。」

 あれ?お父さんだけパックのごはんですか。実は、この米が生物工場。

 花粉症予防が期待される成分が入っているんです。

伊藤博明さん
「これで花粉症、治ったらラッキー。」

 重度の花粉症に悩む博明さんは、その臨床研究に参加しています。
米を生物工場にしたのが、こちらの研究所。

 実際にその米を見せてもらいました。

 農研機構 主席研究員 髙野誠さん
「ここにあるお米が、去年(2017年)収穫したスギ花粉米になります。」

 見た目はごく普通のこの米。実はその名の通り、含まれているのはスギ花粉の成分です。従来の治療にも、花粉の成分を少しずつ摂取して体を慣れさせ、発症を抑えるやり方がありますよね。生物工場の技術で、その成分を含む米を作れば、毎日の食事がそのまま予防につながると考えたのです

 この米の作り方、やはり稲に別の生物の遺伝子を組み込むんだそうです。まず、稲の遺伝子に、スギの細胞から取った花粉成分を作る遺伝子を組み込みます。これを育てていくと、収穫した米の中に大量の花粉成分が作られるのです。こちらがその米。電子顕微鏡で見ると、黒い点がたくさん浮かび上がりました。これが花粉の成分です。

 一度遺伝子を組み込んでしまえば、あとは稲を普通に育てるだけ。これまで治療に使われてきた花粉成分よりも、安く簡単に生産することが可能だといいます。

農研機構 主席研究員 髙野誠さん
「本当にもう、桁違いにたくさんできることが分かっています。生物の力を借りることによって、複雑な物質が非常に安いコストでできる。それを利用しない手はない。」

 私たちの暮らしを大きく変える可能性を秘めた、生物工場。最も注目される企業がアメリカにあります。カリフォルニア州にある、バイオ企業です。売り上げは、この5年で3倍になりました。

急成長を支えているのが、製品の多彩さです。

アミリス社 研究開発部長 ジョエル・チェリーさん
「車のオイルやタイヤの素材、ビタミン、抗マラリア薬、そして化粧品成分や香料など、現在は数百種類の製品があります。」

その心臓部ともいえる開発現場を、特別に案内してもらいました。

アミリス社 研究開発部長 ジョエル・チェリーさん
「これが、我々が生物工場にしている酵母です。」

 お酒やパンなどの発酵に使われる酵母。実は、この酵母を生物工場にして、全ての製品を作らせています。例えばタイヤ素材の場合、酵母の遺伝子にリンゴなどが持つ精油成分を作る遺伝子を組み込みます。すると酵母は、この精油成分を大量に作るようになります。これをゴムに混ぜ込むことで、グリップ性能が高く、劣化しにくい新素材のタイヤができるのです。

アミリス社 研究開発部長 ジョエル・チェリーさん
「酵母を使えば、何十万種類もの化合物を作れます。この技術なら、自然界のあらゆる物質を作り出せるのです。」

 しかし、酵母のDNAの配列は1,200万に及びます。どの部分に、どんな遺伝子を組み込むのか、その組み合わせは無限大です。そこでこの企業では、人工知能を導入。最適な組み合わせを予測させるとともに、ロボットで遺伝子操作をすることでスピードアップを図っています。こうして、さらなる新製品を生み出そうとしているのです。

アミリス社 研究開発部長 ジョエル・チェリーさん
「手作業では、1か月に数種類の遺伝子操作しかできません。でも、この設備なら10分で1,000種類の操作が可能です。」

 投資家や国からの資金が集まり、設備にかけた額は12年間で1,500億円。生物工場には、それだけの価値があるといいます。

アミリス社 最高経営責任者 ジョン・メロさん
「望むものは何でも作れるようになります。ものづくりの革命です。それが世界の進むべき道だと確信しています。」

ゲスト五十嵐圭日子さん(東京大学大学院准教授)

田中:生物工場には、大きく3つの利点があるといわれています。まずはVTRでご紹介したスギ花粉米のように、安く、簡単に大量生産できることです。さらに、人間の力では作ることができなかった物質も作れます。例えば「アルテミシニン」と呼ばれるマラリアの治療薬です。これまでは希少な植物からしか採取できず、大量生産はできませんでした。しかし、先ほどのアメリカの企業が、酵母にある植物の遺伝子を組み込んで生物工場とし、大量に作り出すことに成功。2014年の発売以来、3,900万回分の薬が作られ、世界中の人々を救ってきました。
そして、地球にも優しいんです。例えばプラスチックを作る場合、従来の方法では、原料は石油ですよね。これを化学反応させるには、膨大なエネルギーや、処理に手間がかかる酸やアルカリが必要でした。一方、プラスチックを作る遺伝子を組み込んだ大腸菌なら、必要なのは、菌の餌となる糖。これはトウモロコシなどから作られるため、環境への負荷がとても小さいんです。

▶︎「ものづくりの革命」という言葉もあったが、生物工場の可能性はそこまですごいもの?

五十嵐さん:やはりものを作る時というのは、原料をまず何を使うか、それとどういうふうにそれを作っていくか、そういうところが重要になるんですけれども、その中で、要は、原料も生物で、変換をする、何かものを作るところも生物ということで、基本的に石油を使わないでものを作る、もしくはエネルギーを使わずにものを作ると、そういうことが可能になるわけで、非常に画期的な技術だと思います。

鉄のようなものも作れる?

五十嵐さん:鉄自身はもちろん作れないんですけど、鋼鉄に匹敵するような、そういうような素材を作るということも可能になると思います。

■“生物工場”の安全性は?

五十嵐さん:やはり口に入れるような、食べるようなものの場合は、まだまだ抵抗が非常に大きいと思うんです。ただ、これはバイオ医薬品、つまり医療に使うような、そういうような物質ですと、それはハードルが低いですし、あと、燃料や素材、そういうものに対して使うということに関しては、非常に受け入れやすいのではと考えています。
これに関しては、移動に国際的なルールがそもそもあるのですが、そういうようなものをきちっと使っていく。その上で、「封じ込め」と私たちは呼んでいますけれども、いかにその遺伝子組み換えをした生物が外に出ないかということにも気をつけていかなければならないと思います。

田中:生物工場の研究は今、世界で急速に広がっています。こちらは生物工場に関して書かれた論文の数です。

 10年前ぐらいから、一気に研究が盛んになってきたことが分かります。国ごとに見てみますと、最新のデータでは、アメリカが全体の4割を占め、トップ。それをイギリス、ドイツ、中国が追随し、日本は5番目です。
また、国を挙げて力を入れているのがイギリスです。政府は、生物工場をビッグデータ、再生医療、そしてロボット工学などと並ぶ、8つの重大技術の1つに指定。およそ223億円を投資しました。また、19の大学、研究機関、そして56の企業が一緒に研究開発をする機関を設立し、産官学が一体となった開発に取り組んでいます。
さらにこちらは、フィンランドの公的な機関が去年公表した資料ですが、洋服や生活用品など、身の回りにあるあらゆるものを生物工場で作り出してしまおうという壮大な計画が盛り込まれているんです。

 五十嵐さんは、このフィンランドの公的機関の客員教授もされているということだが、具体的にどんなものを作ろうとしている?

五十嵐さん:私たちの研究所では、ものを作るというのが、あらゆるもの全て、私たちの身の回りにあるもの、例えばコップやお皿、食器とか。先ほどもイスが出ていましたが、そういうようなものまで作っていこうという形に。

▶︎イスは、どう作る?

五十嵐さん:これはカビとかキノコとか、そういう生き物が体の周りに作るような物質を、なるべく多く作らせると。その結果、それが乾かすとゴムのような形になるということが分かってきて、それをイスの下に敷いて、それをイス代わりに使うとか。

「キノコ臭い」ということはない?

五十嵐さん:これは実は、においをかぐとキノコのにおいがするんです。それに関しても、そのにおいの成分をなるべく少なくするような、そういう遺伝子組み換えがされています。

世界はずいぶん先を行っているが、日本の現状と課題は?

五十嵐さん:日本は古来から、みそや納豆といった発酵食品を食べてきたり、文化的に使ってきたという歴史がございますので、そういうものをうまく使うことによって、どうやってバイオ産業を動かしていくのかということになる気がします。ただ、国がそれをサポートしていただかないと、私どもは動かせないということがございますので、日本の場合ですと、どうしても研究者が個別にそういう研究を行っているということがあるんですが、やはりそれが一丸となって、国として動かしていくようなサポートがほしいかなという気がしています。

田中:実は日本には「最強の生物工場」として注目されている生き物がいるんです。

■驚異の“生物工場” 日本の切り札 カイコ

日本の切り札とされる生き物。それは、カイコです。でも、どうして?

 秘密は、カイコの吐く糸にあります。絹糸の原料として知られるこの糸。分子量37万を超える、極めて大きなたんぱく質の集まりです。この分子量がとても重要。なぜなら、生物工場が作り出す物質は、その生物が本来作ることのできる分子量によって大きく左右されるからです。それは、おもちゃのブロックの数が少ないと単純なものしかできないのに対し、多ければ複雑なものが作れるのと同じです。
カイコを酵母と比較すると一目瞭然。

 最大で分子量10万ほどの物質しか作れないといわれる酵母。生物工場として作り出せるのは、タイヤの素材やインスリン、痛風の薬など、これまでのところ分子量の小さいものにとどまっています。これに対し、カイコが作る物質は、抗がん剤や血液凝固剤、鋼鉄強度の糸といった、分子量の大きい複雑な物質。酵母には作ることが難しい複雑な物質を、糸の中に作り出すことができるのです。

 さらに、5,000年ともいわれる長い養蚕の歴史が、生物工場としてのカイコの能力を高めたといいます。もともとカイコの祖先は、小さい繭しか作れない野生の虫でした。大きな繭を作るものだけ掛け合わせ、人の手で改良を重ねていきました。その結果…。

「これがカイコのシルクタンパク質を作る器官です。」

 糸を作るタンクのような器官は、体重の3分の1を占めるまでになりました。分子量が大きい物質を大量に作ることのできるカイコは、最強の生物工場ともいわれるのです。

農研機構 ユニット長 瀬筒秀樹さん
「日本がフロントランナーとなって、ものを作れる。長い歴史をかけて、いいものにしてきた。新しい技術で可能性が広がっている。これを活かさない手はない。」

田中:このカイコを生物工場にする取り組みは、現在、福島から沖縄まで全国15以上の企業に広がっています。

 愛媛県にある化学メーカーの工場では、犬や猫用のかぜ薬や皮膚病治療薬を作り、国内だけでなく、世界32か国に輸出しているんだそうです。

五十嵐さん:本当にすごい生産力だと、私も思います。このカイコの場合は、原料が桑の葉っぱだというところも、すごくいいところだと思いますね。今のものづくりは、どうしても石油を使って何かを作るということになるんですが、カイコの場合ですと、葉っぱを食べて、そこからそういう物質を作ってくれるというすごさがある。

「最強の生物工場」だと?

五十嵐さん:そうですね。「生物バイオリアクター(生物反応利用装置)」と私たちは呼んでいますけれども、本当にすごい才能のある生き物だと思っています。

田中:このカイコを使った生物工場を一大産業につなげるために欠かせない人たちがいます。その場所と中継がつながっています。

関口健アナウンサー(NHK前橋):群馬県前橋市の養蚕農家にお邪魔しております。こちらでは、農家の経験や知恵を生かして、遺伝子組み換えのカイコを大量に作っていこうという取り組みが行われているんです。実は、遺伝子組み換えを行った動物を、一般の農家で飼育するというのは、こちらが世界初なんだそうです。
といいますのも、こちらから動物が逃げてしまいますと、この外の生態系に影響を与えてしまう恐れがあるということで、これまでは厳重に管理された施設の中でしか飼育されてこなかったんです。ただ、カイコはなかなか動かないんです。じっと見ても、これ今、一生懸命、餌を食べているんですが、なかなか動かないでしょう。

 活動範囲が10センチぐらいしかないんです。ということで、ここからもう逃げ出さないということが証明されて、去年の9月に、国から特別に飼育許可が下りたわけなんです。では、このカイコ、大きくなるとどんなふうになるのか、ご覧ください。

 実はこれ、光るクラゲの遺伝子を組み込んでいるんですよね。今は、この光るカイコだけの飼育なんですけれども、ゆくゆくはこの技術を目印にして、例えば血液製剤や抗がん剤といったものに、遺伝子組み換えのカイコを応用したいという期待が持たれているんです。
こちらには、前橋遺伝子組換えカイコ飼育組合の皆さんにお越しいただきました。

 代表の松村哲也さんに伺いますが、今、外国産の安い繭に押されて、養蚕農家が減っています。この中でこの取り組み、どんなふうに期待を持っていますか?

松村さん:この組み換えカイコは、我々、養蚕農家、または一般の人にとっても非常に夢の持てるカイコです。将来性が十分に見込まれる、これまでのカイコとは違った用途で使われるために、外貨獲得のためにも期待が持てるカイコであることは間違いないと思います。

関口:農家の所得も増える可能性があるわけですね。

新しいチャレンジだと思うが、どんな苦労がある?

松村さん:苦労というのは、さほどないんです。これまでの一般のカイコと同じように飼育していればいいんですけど、ただ、飼う環境、要するに建物を「カルタヘナ法」という規制の法律に沿って作っていかないと飼えないという、それだけが苦労です。

養蚕農家と企業がコラボするという取り組みをどう見る?

五十嵐さん:養蚕という産業自体が衰退していっている中で、こういうものを新たなものを作り出せるという、この可能性というのは非常に大きいと思うんですね。これが確実に、これからのものづくりの革命になっていくんじゃないかなという気がしております。

関口:若い農家の方も取り組みに入ってきているんです。ということで、47歳の若手、糸井恒雄さん。最後に抱負をひと言お願いします。

糸井さん:光る糸を農家で飼育できるようになりまして、養蚕農家にも明るい光が見えてきたと思いますので、この養蚕を継承していけるように努力したいと思います。

関口:光るのは繭だけではありません。皆さんの未来も光ります。

■新たな産業革命!? “生物工場”の未来は

「新たな産業革命」という予感もあるが、生命の根源を操作する怖さも感じる。生物工場を、今後どう進める?

五十嵐さん:現時点では、ほかの生物から持ってきた遺伝子を組み込むという作業をせざるを得ない、そういう状況になっています。ただ、ここからは、最近、本当に技術的にはどんどん進歩しておりまして、「ゲノム編集」という技術が始まっております。これは、もともと生物が持つ機能を強めることで、その結果、その生物を非常に早い形で品種改良したような動かし方ができるようになるというものになっております。

カイコが5,000年かけて品種改良していったものを、遺伝子レベルで、短い期間でできるようになり、かつ安全も確保される?

五十嵐さん:そういうことになります。国際ルールを作って、そういうものを守りながら、生物工場をどう利用していくかというようなところを、これから私たちは真剣に考えながら、ものづくりをしていかなければならないのではないかと考えています。

この生物工場の技術、その力は身近な暮らしを豊かにし、地球環境の課題を打ち破る鍵になるかもしれません。私たちの未来を変える無限の可能性を感じました。