■東山文化を伝える庭園建築

足利将軍家では初代の尊氏が観音に崇敬の念を捧げていた。建武三年(1336)に兵庫で新田義貞、湊川で楠木正成を撃破して京都に入った尊氏は、光明天皇を立てたのち清水寺に詣でて求道心の賜らんことを観音へ念じている。尊氏は建武五年1338年に征夷大将軍に任じられたときは、押小路高倉邸(おしこうじたかくらてい)を居所としている。尊氏は自分の信じる観音を祀るため、押小路高倉邸の寝殿と常御所(つねごしょ)の間に観音殿を建てており、これが後代の将軍家にも踏襲されたのであった。この邸宅はのちに等持寺(とうじじ)に改められたが、中門廊のとりついていた寝殿を





