潜伏キリシタン

    ■潜伏キリシタン、風景は伝える 棚田の集落に秘かな祈り

上田真由美 ・中村俊介

▶︎長崎と天草地方のキリスト教の歴史

 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本両県)が、24日から始まるユネスコ(国連教育科学文化機関)の国際会議で世界文化遺産として登録される見通しだ。約250年に及ぶ禁教期、秘(ひそ)かな祈りを守り続けた世界的にも稀有(けう)な遺産。多くは素朴な集落や集落跡で、その風景の中に、潜伏時代の物語がある。過疎と高齢化が進む地域と人を守り、未来へ引き継いでいけるのか。

▶︎特集:長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

 日本列島本土の西端、長崎県平戸市。構成資産のひとつ「春日集落」は平戸島西側の山陰にある約20戸60人余の集落だ。かつて潜伏キリシタンたちが聖地と仰いだ安満岳(やすまんだけ、536メートル)から、海に向かってなだらかに棚田が広がる。

 午前7時前。集落総代の寺田一男さん(68)が自宅を出て、正面に見える安満岳に手をあわせた。

 ログイン前の続き家には、麻縄を束ねた信心具「オテンペンシャ」が残る。今は亡き祖父は潜伏時代の信仰を守り、病人が出るとそれで病を払う儀式をした。幼い頃、近海に浮かぶ中江ノ島を望む場所に連れて行かれた。弾圧で信徒が処刑された殉教の島。一緒に祈りを捧げた。

 この信仰も20年ほど前に途絶えた。それでも寺田さんは毎朝、仏壇と神棚に次いで安満岳にも、先祖への感謝を込めて祈っている。

 棚田の中心に、小高い丘がある。頂上に登ると、小さな石の祠(ほこら)があった。

 難破船の犠牲者を弔ったとの言い伝えがある一方、辺りはキリシタンの墓地でもあった。住民は山の名に敬意を込めて「丸尾(まるお)さま」と呼び、開墾することなく守ってきたのだという。

 寺田さんは眼下に広がる棚田を見やった。「先祖が信仰と棚田を守ってきた。この風景は、隠れながら信仰を守ってきた400年前と変わらない」

 各地の潜伏キリシタンは様々な工夫をして信仰を続けた。寺の檀家(だんか)になって観音像に聖母マリアを重ねたり、アワビ貝の模様にマリア様を見いだしたり。春日集落では山岳信仰の対象だった安満岳を崇拝しつつ、内心の祈りを保ち続けた。

 目立つ建物があるわけではない。それでも、安満岳や中江ノ島とともに世界遺産候補となった。自然崇拝の形に重ねて秘かに信仰を続け、生活しながら形成した集落が変わらず維持されてきたことが稀有だと判断されたからだ。

 集落に早くも、にぎわいの兆しがあった。空き家を改装した案内所が今春、本格オープン。登録勧告が出た5月の訪問客は、前月の5倍の1191人に急増した。ここで働く綾香和枝さん(80)は「このままでは沈んでいくばかりだった。人が行き交うようになって楽しい」とほほえんだ。

 この風景を、集落を、維持していけるのか。

 「昔はみんな田んぼ作りよったけど、今は作りよらんところもいっぱいで」と寺田ソノさん(91)。足が悪く、日課の墓参りにトラクターを使う。田んぼは昨年から息子に任せた。

 集落の65歳以上の高齢化率は全国平均より約7ポイント高い35%。中高生は1人もいない。緑の稲がさざめく棚田の一部には、草が生い茂る耕作放棄地もあった。
進む過疎、将来へどう残す

 華やかな建造物など目玉がほぼないのが、潜伏キリシタン関連遺産の特徴だ。12の構成資産のうち国宝は大浦天主堂(長崎市)だけ。島原・天草一揆の舞台の原城も建物は現存せず、あとは集落や集落跡だ。

 一見地味な遺産が候補となった背景について、「豪華な建物ばかりではなく、人々の生活に根ざしたものを評価する機運が国内外で起きた」と文化庁の担当者。1972年に条約が採択されて始まった世界遺産は、欧州偏重や分野の偏りが指摘されるようになった。ユネスコは94年、文化的景観を重視する世界戦略を採択。コルディレラの棚田(フィリピン)やピコ島のブドウ農園(ポルトガル)などが登録された。

 世界遺産は国内法での保護が条件となる。春日集落を含む集落の大半が文化財保護法の重要文化的景観に指定されたが、対象は棚田や里山など人々が生業を通じて育んできた風景。過疎化で地域社会が維持できなくなれば、消えてしまう。

 構成資産のうち、頭ケ島(かしらがしま、新上五島町)の人口は6月1日現在15人で、一番若い人で57歳。黒島(佐世保市)は2015年国勢調査時で446人が暮らすが、高齢化率は55%に上る。

 ユネスコに提出した推薦書は、「地域社会の持続的な発展へと密接に関連づけていける契機となる」と登録を価値づける。推薦書作りに携わった服部英雄・九州大名誉教授は「訪問者が増えれば仕事も生まれ、人が少しずつ戻ってくるのでは」と話す。「年月が凝縮された景観の意味を考える新しいタイプの世界遺産。見る人にとっても、意味がある」(上田真由美)
「かくれキリシタン」減り続け400人

 潜伏キリシタンのゆかりの地では、長崎県平戸市の生月(いきつき)島を中心に、禁教期の信仰形態を守り続けてきた「かくれキリシタン」がいる。明治期に禁教が解かれた後、カトリックに復帰した多くの信徒とたもとを分かち、オラショと呼ばれる祈りや独自のしきたりを継承してきた人々だ。一般に、解禁前の江戸期の信徒を指す「潜伏キリシタン」とは区別される。

 

 今に息づく「かくれ」の文化は構成資産に含まれていない。推薦候補のストーリーの中心は弾圧の始まりから明治初期の「復活」ごろまでだからだ。また、世界遺産の対象は建物などの不動産。「かくれ」の人々の祈りの場は日常の生活空間なので、立派な教会があるわけでもない。

 だがその伝統文化から「潜伏時代の信仰の形を知ることができる」と、平戸市生月町博物館・島の館の中園成生(しげお)学芸員。その信仰形態は伝来当初の古い形を残しており、たとえ構成資産に含まれなくても潜伏キリシタンの歴史を知るうえで欠かせないという。

 だが現存する「かくれ」の人々は400人ほどともいう。過疎化で年々減り、消滅の瀬戸際にある。各地区にあった組織の多くが消えた。若者は故郷を離れていく。我が子の洗礼に二の足を踏む信徒も少なくなった。組織のまとめ役だった信者は「もう後継者がいない」とあきらめの表情を見せる。(編集委員・中村俊介)
元ユネスコ事務局長・松浦晃一郎さんの話

 世界遺産は1千件を超え、日本でも法隆寺や姫路城のようなそれだけでも普遍的な価値が認められるものは出尽くしてきた。今重視されるのは不動産としての遺跡を結びつける「物語」だ。潜伏キリシタン関連遺産には、遠藤周作の小説「沈黙」でも描かれたように、250年以上に及ぶ禁教期の弾圧下で信仰を守った歴史を示す物語がある。登録されれば、こうした人たちが暮らした集落に、世界的にも独自の価値があると認められたということだ。