日本とは

■日本とは何か。

落合陽一

 我々は何を日本だと思っているのか。その問いを考えるにあたり、まずは古代の日本を振り返るのがいいのではないかと思います。日本人は近代学校教育で歴史を学ぶときに、昔話として習ってきているので、歴史が今の日本や世界認識にどのような影響を与えているかをまったく意識していません。しかし、日本の歴史は現代を生きる我々の土台になつています。このブラックボックス化した日本の歴史。均質性の中で歴史を作ってきたことへの無理解は後の拝金主義や同調圧力につながつているように思います。

 日本の古代史上でのポイントは、出雲政府と大和朝廷の勢力争いです。日本にはこの戦いの後にも平氏・源氏や南北朝などの勢力闘争はありましたが、「出雲対大和」の争いは、日本の統治機構を形づくる上で決定的な影響をもたらしました。諸説ありますが、日本の神聖や古代からの歴史に影響を及ぼすような対立は「出雲対大和」の時代に大きなルーツがあり、それ以後は、基本的に天皇という概念を中心にして日本は統治されています。

 この戦いには大和側が勝って、大和が4世紀ごろに日本を統一しました。そこから 当時はテクノロジー的には近代でもないのですが、このころが日本の前近代の始まりといえます。

 その後に、日本が近代的な国家制度を築くきつかけになつたのは、中臣鎌足による西暦645年の大化の改新です。ここから律令政治が始まります。この大化の改新によって、日本の基本スタイルが生まれました。日本の中心に天皇制という概念は律令制として持ってくるけれども、天皇が政治をするわけではなくて、その横にいる官僚、当時の中臣鎌足などが政治を行うというスタイルです。言い換えると、宗教的な立脚。中央の天皇のほうに持ってきて、それ以外の法制や法律は官僚的人材が決めていくといくという官僚主導の管理経済型の仕組みができあがったのです。この時代には、現代の基盤となつているとても重要な制度ができています。その一例が、743年に制定された墾田永年私財法です。それまでは、三世妄の法の決まりで、自分で新しく切り開いた土地でも、3世代(孫の世代)までしか所有できなかったのですが、この法によって、永遠に土地を自分のものにできるようになりました。

墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいのほう)は、奈良時代中期の聖武天皇の治世に、天平15年5月27日(743年6月23日)に発布された勅(天皇の名による命令)で、墾田(自分で新しく開墾した耕地)の永年私財化を認める法令である。古くは墾田永世私有法と呼称した。荘園発生の基礎となった法令である。1897年にも開墾地無償付与という似た制度が実施されている。

文武天皇元年(697年)には持統天皇の譲位により即位した草壁皇子の息子・軽皇子(文武天皇)の擁立に功績があり、更に大宝律令編纂において中心的な役割を果たしたことで、政治の表舞台に登場する。また、阿閉皇女(元明天皇)付き女官で持統末年頃に不比等と婚姻関係になったと考えられている橘三千代の力添えにより皇室との関係を深め、文武天皇の即位直後には娘の藤原宮子が天皇の夫人となり、藤原朝臣姓の名乗りが不比等の子孫に限定され、藤原氏=不比等家が成立している。

 土地は国家が所有するものから、国民が保有できるものに変わつたのです。たとえば中国では今でも皇地の個人所有は認められていませんし、同じアジアでも国によって法制度は大きく異なります。

 なぜ中臣鎌足はこうした統治スタイルを選んだのでしょうか。これは僕の推測ですが、天皇家も世代交代によって為政者としての才覚に差があるから、天皇に権力を集中させるのではなく、天皇という統治者と官僚という執行者にしたほうが国はうまく治まると考えたのだと思います。中臣鎌足の子、藤原不比等は、国民が天皇を信仰するように、『日本書紀』や『古事記』書き直しました

イザナギやイザナミ、天皇をその子孫に与る神話をつくりました。いわば、教義や神話政策として編纂したようなものです。日本は西暦700年代からこの統治構造で運営されていて、その後の1300年にわたって、統治構造の大きな変化は起きていません。南北朝時代や江戸時代には、変化の兆しはありましたが、結局、統治構造は変わりませんでした。

 ほかの国の歴史みると、「誰が王様になるか」という王座の争いを、1400年代や1500年代まで繰り返していましたが、日本は他国に先んじて今の統泊構造に到達したのです。 これは、「日本とは何か」考える上で知っておかないといけない基本です。日本は宗教という点でも他国とは異なる特徴があります。一般的に、宗教とは、イエス・キリストやブツダのようなカリスマ性のある開祖が存在し、その後コミュニティを作る中で自発的に生まれてくるものです。

 それに対して、日本では、統治者と国が国策として宗教組織を生み出しました。国が日本誕生についての神話を編纂し、イザナギ、イザナミという神の物語を編成し、その子孫が天皇であるという神話の編纂を行つたのです。ほかの国の統治者もこういつた手法をとることがぁりますが、日本の場合、このデザインが2000年近く続いていることは非常にイノベーティブであるといえるでしょう。さらに興味深いのは、国が神を設定したのにもかかわらず、日本が天皇一神にならなかったことです。一神教になつてもおかしくなかったのに、実際には、八百万神【やおよろずのかみ】状態になりました。その理由は、おそらく大和が出雲を滅ぼさなかったからだと思います。

出雲大社に全国の神が集まって一年の事を話し合うため、出雲以外には神がいなくなるという説は、中世以降の後付けで、出雲大社の御師が全国に広めた語源俗解である

 神無月の語源として、かんなづきー川月には全国の神々が集り、諸国に神がいなくなるから『神無月になったとする説がありますが、出雲にも神様が行き続けたのです。

 神様の世界も、手法としては民主的なのです。この制度はギリシャなどの小国に見られるが、神の連合会議を用いてそれ自体も信仰とするような特徴は現代のほかの国ではとてもありえないものであって、明らかにイノベーティブなデザインだと僕は考えています。我々の国では、イスラム教を信仰している人も、キリスト教を信仰している人もどちらも許容し、「そういうものでしょう」という感じですが、それを理解する素養が少ない国も多いように感じます。言い換えると、日本は国家を定義することなく信仰を定義できてしまった特殊な国です。

 もちろん、そのせいで地方自治の中でキリスト教に対する弾圧などがあったりもしました。 おそらく、中臣鎌足から始まる系譜において、藤原不比等自身は、神話までつくるぐらいですから神教にしたかったのだと思います。しかし彼の誤算は、自然信仰を外せなかったことだと僕は考えています。だからこそ、日本は儒教になりませんでした。ただし、一神教ではなくても、多くの日本人はみんな天皇陛下のことを敬っていたし、天皇制が大切な文化だと考えています。

 明治時代から昭和初期にかけては、天皇一神教をもっと強めましたが、戦後はもとに戻っていきました。この明治から昭和初期の半ば、日本の歴史の中では奇特な時期であって、天皇神教の全権統治スタイルは日本が長く行ってきた為政とは異なります。 戦国時代までの日本の歴史は、精神構造の主体として天皇があつた上で、執行者の地位を争つていく構図でした。たとえば、「将軍」という言葉は征夷大将軍の略ですが、その任命権を持つのは、天皇です。国権として政治を担う主体と、精神構造の主体が分離しているのが日本であつて、それは妥当なやり方だと僕は思います。

 日本では、その執行者の地位をめぐつて、豪族や武家や戦国武将が勢力争いを繰り広げてきたわけですが、それがピークに達したのが戦国時代です。戦国時代とは、我々にとつての世界大戦といえるのではないかと僕は考えています。

 この世界大戦では、2つの選択肢がありました。ひとつは秀吉的世界。中央集権の自由経済的なオープンな世界で外の国を攻めるなど外交的成長戦略をした。もうひとつが、徳川的世界。これは非中央集権の地方自治で、内需に頼る鎖国戦略です。

 最終的に、秀吉的世界は長く続かずに、朝鮮出兵なども失敗し徳川に滅ぼされてしまい、その後、300年にわたり、日本は徳川的世界になりました。結果として、徳川的世界の分割統治・地方自治スタイルは日本に向いていました。江戸時代には、通貨も地域ごとにたくさん生まれて文化が栄えました。

 日本は同じ国の中でも、沖縄と北海道で文化が違いますし、守るべきカルチャーも違います。そういった面でも日本には、非中央集権が合つている。しかも、士農工商のカースト制も300年程度続くぐらい日本の統治にはハマっていたのです。日本にはカーストが向いている。カーストというと、悪いイメージがあるかもしれませんが、インド人にとつては必ずしも悪ではありません。僕はインド人によく「カーストってあなたにとつて何なの?−と質問するのですが、多くの人が「カーストは幸福のひとつの形」と答えてくれたことがありました。なぜカーストが幸福につながるのかというと、カーストがあると職業選択の自由はない反面、ある意味の安定は得られるからです。生まれたときから、どういう層の人々と結婚するのかがわかっているし、誰と結婚するかも大体わかっている。また、未来に自分の子どもが自分の職業をて得ているだろうとわかるからです。

 とくにインドは政権や経済政策が不安定なので、職業が人々の安定の土台になつています。自分の子どもも、自分の孫も、自分のおじいちやんと同じ仕事をしているだろうと保証されていることが、人々の安定や安心につながつているのです。仕事と聞くと、我々は専門性の分化された仕事を考えてしまうのですが、カーストのいう仕事はもつと広い意味を持っています。カーストの仕事には、トイレのドアを開ける職業まであります。そういう人に「でも、トイレが自動ドアになったらどうするの?と聞いたことがあるのですが、「自動ドアを設置する会社に勤める」と言っていました。

 同じように、トイレでティッシュを売る人も、トイレがウォシュレットになったら、それをメンテナンスする仕事につくのだと言います。つまり、機械ができることの外側にある仕事をつねに手掛けていて、技術失業の外側へ臨機応変に対応するのです。ただし、例外もあります。たとえば新規の領域は今までのカーストではカバーしていなかったので、カーストの抜け穴として新しい人材が参入しました。これがインドでIT産業が盛り上がつた大きな理由です。インドのカーストになる時代にもなりました。今の日本人は「農」というと、農民と思い込んでいますが、それは昭和のイメージで士農工商を見ているからです。もともとの「農」は米もつくつていましたが、米づくり以外のこともたくさんしていました。今も学生の間では、メガバンクなどの金融機関が人気ですが、金融それ自体は基本的にクリエイティブではありません。

 江戸時代でも、新井白石のように金融学者として新しい仕組みを考え出す人はクリエイティブクラスですが、町で両替商をしている人たちは全然クリエイティブではありません。だからこそ、士農工商なのです。

 いつの時代も、社会の中での重要性を決めるのは、市場での希少価値です。数が少ない人たち、レアな人たちほど価値が高いのです。たとえば、新しい仕組みを考えたり、イノベーションを起こしたりするクリエイティブクラスは明らかにレアなので、価値が高い。誰にもつくれないモノをつくれる人は価値が高い。それに対して、現代のホワイトカラーの仕事をできる人や機能はほかにもたくさんいるし、だから価値が相対的に低いのです。

 僕がここで士農工商のモデルを主張するのは、日本人の幸福を定義しやすくなると思うからです。我々は、幸福追求するときに、つい物質的価値を求めてしまいますが、実は、生業が保証されることこそが幸福につながります。その生き方は将来にもあるだろうという前提で未来を安心して考えられると生きやすくなるのです。

 生きるに業と書いて、「なりわい・生業」と読みますが、生業が保証されて、それに打ち込めるだけで、人生のビジョンがほとんど決まります。それは、いつまで経っても自分探しをして、迷い続ける人が多い社会よりもよっぽど幸福ではないでしょうか。もちろん、インドのように生まれながらカーストによって職業が決まつているのではなく、職業の行き来のしやすいカーストにする必要はあります。そうした「義政性のあるカースト」であれば、日本人に向いているはずです。ここれはコミュニティとも同じような考え方です。

 とくにこれから重要になるのが、「百姓的な」生き方です。百の生業を成すことを目指したほうがいいのです。そうすれば、いろんな仕事をポートフォリオマネジメントしているので、コモディティになる余地がありません。ひもを繕っているときもあれば、わらじをつくっているときもあり、稲を刈つているときもある。現代でいうと、堀江貴文さんです。堀江さんも、メディアに出ているときもあれば、肉をたたいているときもあり、サバイバルゲームで銃を撃っているときもあります。まさに「クリエイティブクラスになっていくのです。しかもこれからは、技術的発展によってクリエイティブクラスとして活躍しやすくなってきます。たとえば、明治時代には、クリエイティブクラスや百姓としてマルチタレントを発揮するには、相当、ずば抜けていないと厳しかった。もしくは社会からの距離を感じざるをえなかつた。しかし、今後は専門性をコンピューターが代替できるようになると、専門性の高いところから能力の訓練が解放されて、マルチタレントを生かしやすくなってくるはずです

▶︎中流マスメディアの罪 

 ここまで説明してきたように、クリエイションを中心に考えるカースト、とりわけ士農工商は相性がとてもいい。それなのに、今の日本にはそういった、社会への貢献という考え方の伝統がなくなつてしまいました。それは、大学生の間で、メガバンクや商社や宝石代理店などの「商」ばかりが人気という点にあらわれています。

 なぜ日本はこうなつてしまったのでしょうか。僕は、マスメディアがカーストを破壊したのだと思っています。とくに罪深いのは、トレンディードラマや拝金主義です。

 何が言いたいかというと、マスメディアによる価値観の祝言トレンディードラマによる人生のサンプルの流布のせいで、日本人が目指す人生像がとても画一的な凝り固まったものになってしまいました。たとえば二子玉川はサラリーマンの憧れの町として語られていますが、駅を降りると何か構造がいびつです。カフェがあつて、家電屋さんがあって、子どもを連れて歩きたい公園があって、川があって、まるでドラマでのシーンを切り取ったような光景が広がつています自然発生的には生じえないシナリオを物理化したような町になつているのです

つまり、マスメディアがドラマで見せていた、理想的な昭和人材が住みたい町や家なのです。トレンディードラマのような町に住んで、家を買ってて、子どもを塾に行かせて、私立の学校に行かせて、やがて病院で死ぬというような画一的なイメージです。本当は「人がこうなりたい」というイメージは多様でいいはずなのに、びとつのイメージをマスメディアが押し付けると、社会構造として極めていびつになつてしまう上、それが実際に物理化し出すのです。