彼は更に進んだ芸術世界の勉強をするためにイタリアのヴェネツィアに赴いた。ヴォルゲムートの保護もあり、彼はドライポイントによる印刷の方法や、マルティン・ショーンガウアーの作品やMaster of the Housebookがその基本となっているドイツ様式の木版の設計方法を学んだ。彼はドイツにおいてもイタリアの作品に接していたが、イタリアでの2つの訪問が彼に多大な影響を与えることとなった。彼はジョヴァンニ・ベリーニは最も歳をとっているが、未だにヴェネツィアで最もすばらしい芸術家であると記述している。デューラーの描画や彫刻は他の芸術家の影響も受けている。作品に描かれている体の比率に興味があったアントニオ・デル・ポッライオーロやアンドレア・マンテーニャ、ロレンツォ・ディ・クレディなどである。彼はパドヴァとマントヴァも旅行中に訪れている。
彼の有名な『黙示録』の16の設計シリーズは1498年のものである。彼は『大受難伝』の最初の7つの場面も同年に製作した。少し後に、聖家族と聖人 (The Holy Family and saints) に関する11のシリーズを製作した。1503-05年頃、彼は『マリアの生涯』の挿絵セットの最初の17枚を製作したが、すべての製作が終わるまでに数年間を要した。これらの作品も『大受難伝』も何年もの間出版されなかったが、印刷物はかなりの数が個人的に売られた。
ヴェネツィアで彼はドイツ移民の共同体から、サン・バルトロメオ教会の祭壇画の業務委託を受けた。この時の作品は”Adoration of the Virgin”あるいは『ローゼンクランツフェスト(薔薇の冠の聖母)』として知られている。委託にはヴェネツィアのドイツ移民共同体メンバーの肖像画が含まれていたが、その作風はイタリアの影響を受けていた。その後、作品はルドルフ2世の手に渡り、プラハに移された。デューラーがヴェネツィアで製作した他の絵画には、『ヒワの聖母子』や”Christ disputing with the Doctors”などがある。
1507年から1511年の間、彼は最もよく知られた絵画を残した。1507年の「アダムとイヴ」、フリードリヒ3世のために描かれた1508年の”The Martyrdom of the Ten Thousand”、同じく1508年の”Virgin with the Iris”、フランクフルト・アム・マインのJacob Hellerのために描かれた1509年の”Assumption of the Virgin “、Matthaeus Landauerのために描かれた1511年の”Adoration of the Trinity”などである。同時期に彼は、『大受難伝』と『マリアの生涯』の2つの木版シリーズを完成させ、両作品とも1511年に、『黙示録』シリーズの第二版と共に出版された。ヴェネツィアから帰国後の木版画は、デューラーのキアロスクーロモデル効果の発展を示している。出版物のいたるところに、明暗が対称的な中間の色調が見られる。