物体・詩

■思考するオブジェからGOMI・ARTへ  

尾崎眞人(板橋区立美術館主任学芸員)

■〈自然〉と<廃物〉の創造

▶︎〈自然〉のエネルギーと〈廃棄物〉のエネルギー

 今回の展覧会の出品作家の一人、千葉県夷隅町にある立石大河亜のアトリエを出た時は、夜の12時をまわろうとしていた。所々に明かりが点在するものの、すれ違う車もなく、広域農業道路はただ闇のなかから浮かび上がってくるばかりだった。自然界の安息である闇の中で、機械文明の自動車を運転しているのが小賢しいと思わずにはいられないような恐怖感を味わった。追われるように、アクセルを踏む力が強まった。子どもの頃の風のざわめきや、雲の流れに恐怖を感じた、あの感覚と共通するものであった。東京という〈物質〉にかこまれた〈場〉では感じることのできなかった、〈自然〉の力を、意識させられることになった。

 絵画の好きな人たちの中でも、強い愛好家のいる作家として国吉康雄がいる。あまり語られた事がないが、この作家の世界にも、〈自然〉の力を意識させられる作品がある。代表作のひとつにもなっている作品でもあり、私自身大変気にかかっている作品である。倉敷の大原美術館にある《飛び上がろうとする頭のない馬〉という作品である。この象徴的作品はなにを象徴としたものなのか、そのミステリアスな〈頭のない馬〉は様々に解釈されてきた。バート・ウィンザーの作家年譜によると、この〈飛び上がろうとする頭のない馬〉の作品ほ「象徴的な様々な連想を伴う、精巧なアトリエ制作のアッサンブラージュを大きな静物画で表現したもので、アメリカ西部の風景の前に配されている。」といわれている。

 

 しかし、はたして「精巧なアトリエ制作のアッサンブラージュ」なのだろうか。私には国吉康雄の見た実風景のように思えてならない。《飛び上がろうとする頭のない馬》の描かれた1945年から1946年にかけて、〈捨てられた宝物〉く【海岸の廃棄物》と、廃棄物のイメージがメインになっている。そして1946年からの〈女は廃墟を歩く〉などの廃墟のイメージを下敷きにした作品がつづくようになる。《飛び上がろうとする頭のない馬〉も海岸縁の投棄物を描いた作品である。左の後ろ足をもがかれた、頭のない木馬と、〈WE FIGH〉という英文スペルが読めるポスターが、風に千切れようとしている。この〈WE FIGH〉と記される文字ほWE FIGHTと綴られるものであることが、容易に想定できる。このポスターはOWI(戦時情報局)のために制作した手錠を掛けられた男が図柄になっているものである。これらの反戦的国吉康雄の姿勢が描かれている作品は、「国吉のアイデソティティと国籍の葛藤」として考えられているが、こうしたアイデソティティの問題のほかに、〈自然〉の力と〈廃物〉の再生という、国吉の創造のイメージの相剋を考えなければならないだろう。このような作家における〈自然〉〈廃棄物〉〈物体〉というものがもつイメージと作品のかかわりをここでは考えてみたい。

▶︎〈人間〉と〈物質〉

 〈人間〉の描くという行為と〈物質〉が始めて作品の上でであったのは、いつであろうか。立体派時代のピカソやブラックが、キャンバスに新聞紙やマッチのラベルなどをはりつける〈パピェ・コレ〉(貼り紙)が、画面に異物を混入したのが始めであろう。ピカソ32歳の、1913年である。ピカソは前年から着色ブロンズの構成物を制作していて、立体派の構成を研究するなかに、〈パピエ・コレ〉が生まれたと考えられる。

 さらにこうした立体派の前衛運動のなかから展開されたダダ運動のなかに、異物としてではなく平等な素材として〈使用済〉の廃物素材を扱った作家が出てくる。ドイツに生まれ故郷ハノーヴァーで、独自のダダ運動を展開したクルト・シュビィッタースである。こうした寄せ集めの作品をクルト・シュビィッタースは、〈メルツ(Merz)〉と呼んだ。〈使用済〉の廃物素材であることは、素材そのものの特質によって画面構成が可能となり、ここに至り始めて、画家は〈物質〉と対峙(たいじ・じっとにらみ合って対立すること)したといえる。

 日本国内においても、ドイツ留学中の村山知義などによって、<あるユダヤ人の少女>(東京国立近代美術館所蔵・1922年)のようにレース、髪、雑誌の切り抜きを貼りつけた作品がもたらされる。1923年村山知義が帰国すると、大正の新興美術運動は激しさを増し、首都無選展の河辺昌久は<メカニズム〉(板橋区立美術館所嵐/1924年)を描くなど、〈貼り合わせ〉の絵画が出てくるようになる。こうした日本国内における動きは殆ど同時性といっても過言ではなかろう。

 

 こうした〈パピェ・コレ〉、〈メルツ(Merz)〉や〈貼り合わせ〉を近代美術の〈物質〉観の一つの傾向としてみてみると、1930年代から一歩進展させた〈オブジェ〉というシュールレアリスム表現の一つが現れてくる。デュシャンやダリといったシュール・レアリスト達に愛でられた〈物体〉は自らの持つイメージとの落差を伴ったイメージを見る者に与えることになる。ここに作品と作品の意味の差という二重構造が生まれてくる。

 山上嘉吉〈起られんとしつつある重大なある出来事>にみられるような、日常生活用品を無にするようなダダ的表現とは意味を別にするシュールレアリスムの〈オブジェ〉は、〈物体〉の新しい意味を物質の持つイメージから求めようとするものであった。日本においても美術文化協会の作家を中心に、何点か試みられた。そのなかの、古澤岩美の<傷つけるダイアナ〉などという作品の写真が当時の作品をしのばせてくれる。しかしこれらのただシュール・レアリスムの〈オブジェ〉たちは、〈物体〉そのものとの対峠ではなかったようである。レアリスムたちは、〈物体〉の虚体を借景したにすぎなかった。借景が事物と異なれば異なるほど、シュール・レアリストたちの屈折したイマジネーションのエネルギーは高められた。

▶︎〈人間〉とタブローを越えた〈物体〉

 〈パピェ・コレ〉、〈メルツ(Merz)〉や〈貼り合わせ〉そして〈オブジェ〉を含めて、これらのアッセンブリッジ(ASSEMBLAGE・アッサンブラージュ)美術はあくまで、平面のタブロー作品の範疇から抜け出すことほなかった。しかし1950年代になると、新しい、〈物体〉観を提示してくれるものがでてくる。一つは〈ジャンク・アート〉という新しい〈物体〉観であり、ひとつはラウシェンバーグの出現である。〈ジャンク・アート〉という〈物質>観は、〈物体〉を肯定的に捕らえた顕著な例であろう。

 また「わたしは、ありとあらゆる物をつかって、世界を能うる限りたくさん存在させたいだけなのだ」と語るラウシェンバーグは〈日常的がらくた〉をすべて飲み込むかのように、無関係に〈コンバイン(結合)〉することで、自ら、その世界に驚いている。それは現在の自己自信の確認作業なのかもしれない。混沌の中で描く行為の先に現実が見えてくるのかもしれない。ラウシェンバーグの〈コンバイン(結合)〉という描き方がしばしば、アクションペインティングに近いと指摘される理由である。

 行為という点においてほ似かよった運動が日本にもおこった。1960年代に日本において〈反芸術〉としての、つまり既成の芸術作品へのアンチとしての芸術運動が、読売アンデバンダン展などを発表の場としていた若い画家たちから起こってきた。つまり篠原有司男や中西夏之などの〈ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ〉〈東京ハイレッド・センター〉、さらに菊畑茂久馬、桜井孝身などの〈九州派〉 グループの〈反芸術〉運動に見られる。〈物質〉観である。これらの作品に使用されるガラクタや廃物は、〈反芸術〉運動として既成芸術を打ち破るとともに、作者自身知るよしもなかった副作用をもたらしてくれた。物質〉の持つイメージの力強いエネルギーである。しかしあくまでも〈反芸術〉のものであった。こうした物質の本来内在していたエネルギーの中に表現者の延命を考えた作家もいた。ティンゲリーなどの作家や、方法は異なるものの日本の〈もの派〉と通常呼ばれる李禹煥などの出現である。

 前者ティンゲリーなどは1963年の春、東京を訪れる。翌年に東京オリンピックを控えた東京はありとあらゆる所で突貫工事がすすめられていて、オリンピックに浮かれていた。その工事現場からティンゲリーはそれ自体では不思議でもないガラクタや機械の部分品、廃棄物を拾い集めてく。これら東京の喧騒と混沌を秘めた廃物のがらくたで作品をつくることに専念する。そしてこれらのがらくたがガラガラと音を立てて動く様は、ユーモラスを越して不気味でもある。それはティンゲリーのがらくた達が、単なる機械文明の抵抗などではなく、それも機械文明での延命を求めるという真撃な真面目さが内在するからであろう。

 一方〈もの派〉の作家たちは、ティンゲリーとは異なり〈物〉そのもののエネルギーに内在する意味に注目したグループである。ある意味では日本のシュール・リアリストたちが見た〈物〉同志の繋がり〈物〉と〈人〉との繋がりと近い意味をもつものでもあった。

 このような美術の流れのなかに最近現れてきた〈物質〉観に、最近の特徴として、廃棄された物のなかに過ぎ去った時間や過ぎ去った行為が記憶されていることに気づいたことである。これは物質文化に浮かれ狂っていた人間への警告として、環境破壊取り返しのきかない状況が皮肉にも生み出した視点であるかもしれない。

 

 ここでは、ローレンス・アロウエのように〈廃品芸術〉を「廃品文化は都市の芸術である。」と呑気(のんき)にも廃品芸術を刹那的に愛でることはできない。こうした〈場を記憶する廃品美術〉どこか虚無的でもあり、不在化する人間に対して〈怒れる力〉を素材は秘めている。

 〈場を記憶する廃品美術〉は人間に取って代わり、土や山そして海さらに闇などに、私たちの先祖が感じていた〈シャーマン・トランス状態に入って超自然的存在(霊、神霊、精霊、死霊など)と交信する現象を起こすとされる職能・人物のことである。〉な恐れや驚愕そして乱舞を語り残してくれるかもしれない。しかし〈場を記憶するGOMIーART〉こそ〈パンドラの箱〉であることを願わずにほいられない。

 〈人間〉と〈物質〉と〈廃物〉の関係を次の8つの視点でみることにした。観る者の感じかたで作品を入れ変えたり、新たな視点をふやしてもらいたいと思う。

■作品事例

■1. <物質〉との対話・・・コラージュの作品群

    

■2. <オブジェ》の意味とシュール・レアリスム

    

■3.〈廃物〉の再生−《ジャンク・アート》

 

■4.〈オブジェ〉を離脱した《オブジェ》

■5.〈物質〉と〈イメージ〉の交信

■6.大量消費生活と《GOMI−ART》

■7.<場〉の記憶として拾得される

■8.《GOMI−ART》仮定としての《GOMI・ART≫