世界を覆い尽くす系統樹

■世界を覆い尽くす系統樹

■チェイン、ツリー、ネットワーク

 本書は、2010年から2012年にかけてNTT出版のウェブサイト上で連載してきた〈系統樹ウェブ曼荼羅〉から生まれた。 (2010−2012)。この連載では、古今東西の「系統樹」がもつヴィジュアル言語としての側面に光を当て、毎回、生物の系統樹を含むさまざまなオブジェクトの系譜を題材として取り上げてきた。連載全体を包括するキーワードは「生命の樹(the tree of  life)」だった。生命の樹は洋の東西を問わず時代を超えて連綿とその命脈を保ってきた概念である。

 チャールズ・ダーウィンは近代進化学の黎明を告げる『種の起源』を著わした。ダーウィンの進化論を同時代のドイツにいち早く導入したエルンスト・ヘツケルが進化思想を普及させるにあたって用いた「視覚的メディア」の頁献度はきわめて大きかった。時空的変遷という因果プロセスを「系統樹」や「ダイアグラム」のような視覚メディアとして表現することにより、一般社会への浸透度が高まったのではないだろうか。ダーウィン自身は生命の樹とダイアグラムとを意図的に分けているが、彼の著書を手にとった読者たちは、まちがいなく当時の文化的背景のもとで、ダーウィンのダイアグラムを「生命の樹」として解釈したにちがいない。さらにもう一歩踏み込んで、ダーウィンやヘツケルは系統樹を描くことを通じて、進化学の思想を育んでいったのではないかと言う研究者もいる。

 つまり完成品としての進化思想の売り込みにおいてだけではなく、進化思想という製品づくりの時点ですでに視覚的要素が深く関わっていたという推論である。これは たいへん興味深い。

■グラフィクス言語の起源

 生物にかぎらずさまざまなオブジェクト(対象物)の多様性と変遷を記述する際にわれわれがこれまで用いてきたチェイン(鎖)・ツリー(樹)・ネットワーク(網)は、いずれもダイアグラムとしての役割、すなわちヴィジュアル言語として、あるいは知識化ツールとしての機能を果たし得る。ダイアグラムのもつこの働きはさかのぼれば中世の昔から認識されてきた。

 一言で言えば、15-16世紀において中世的知識はこれらのダイアグラムを媒介として「視覚化」され、広く用いられてきた。

 たとえば、新プラトン学派のポルピュリオスの樹に帰せられる「ポルピュリオスの樹(上図)は、万物の配置を決定する樹形図として何世紀にもわたって描かれてきた。「人間」の根の上に伸びる直線上の幹は「動物」「生物」「物質」の諸段階を経て「実体」にいたる。それぞれの段階からは側方への分枝が生じている。

 このポルピュリオスの樹プラトン的な世界観に基づく体系化を視覚化したダイアグラムであり、存在の階梯」の観念とともに、後世に大きな影響を及ぼした。

 リナ・ボルツォーニ「イメージの網」は、中世イタリアにおけるさまざまなダイアグラム(図表、系統岡[diagramma]、系緑樹[albero]などの視覚的図式)の記憶術的利用について考察する。ボルソォーニの基本スタンスは、文字によって描かれた世界がそれと並行する図表によって表現された世界とどのように関わってきたかに注目することである。とりわけ興味深いのは、系統樹や階梯が実に6世紀にまでさかのぼれる深いルーツをもっているという点だ。そのひとつは教育的ツール(記憶術)としてのイメージである。

 問題となるのは、テクストとイメージが対置されるのではな〈、 密接に結びついている混合の所産であり、それゆえ、すでに見たように、メッセージを理解するためにはその両方と、これら を結びっける関係を解読しなければならないということである。 しかし、これらの起源はより古い。ここには教育の伝統、

【図2】Francesco Robortello、1549)による修辞法の教育に用いられた「図式化された系掛封(albero diagrammatico)」(ボルツオーニ2010:59,図4) 

 スコラ学の伝統、聖書注釈の伝統ヒいったさまぎまな伝統が流入している。たとえば、生徒が理解し記憶するのを助けるような、論理学の推論や修辞学の分類を表現する系統図(diagrammi)や円形概念図(schemi circolari)の使用は学校では広く普及していた。(BoIzoni2002)もうひとつは法学的ツールとしてのイメージ、すなわち家系図である。

 同様の概念図[スケーマ」は血縁関係を視覚化するために用いられたが、これは法学の伝統や、人々の間の関係を管理するうえで、第一級の役割を果たしていた。系統図は他のさまぎまな幾何学的概念回と同様に、装飾的要素で飾られ、回像学的文脈 の中に挿入されることが可能だった。感覚と空想に感銘を与えることのできる正真正銘のイメージは、このようにして概念図に同伴するか、その機能を永続させつつ、完全に概念図そのものにとってかわることができた。系統図(diagrammi)が系統樹(albero)へと変わる事例が最も一般的である(BoIzoni 2002)。

 さらにもうひとつは生命の樹(lignum、vitae)である。

 「生命の樹」のラウレンツィアーノ写本に収録されているヴァー ジョンは、これが十字架と同化していることが一目瞭然である。 ‥‥系統樹/十字架の土台には『ヨハネの黙示録』の「私は果 実をもたらす生命の樹を見た」という一行を読むことができる。このイメージ は、話題となっている「生命の樹が天国の中央に植えられた のと同じものであるという事実を目の前に突きつける。

 メッセージを視覚化する能力に着目するとき、「生命の樹」のイ メージはかくも強力だった。ボルツォーニは古代の「血縁樹形図 (arbor consanguinitatis)」が聖書的に再解釈されて、「エッサイの樹」 のようなイメージを生み出したと言う・訳書86頁・・〔中世ヨーロッ パにおけるさまぎまな様式の家系図は、その影響から免れることは できなかった。

■体系化の慾望は「内なる声」である

 ギリシアのアリストテレス以来リンネにいたるまでの生物分類体系が階層分類を重用してきたことは偶然のできごとではない。階層 分類はヒトにとって「自然な分類」への最短コースであるという認知心理学的な理由がその背後にある。オブジェクトを問わず、情報 を階層的に配置して体系化することには心理的な背景があるという ことだ。

 生物進化という観念が登場する以前、創造主があらゆるものを 創ったと信じたカール・フォン・リンネが確立した生物の命名規約 もまた、現在の生物分類学でもそのまま通用しているニリンネの「分 類」に対する個人的動機や歴史的文脈とはまったく無関係に、彼ら が開発した分類の「方法」が廃れずに絶えざる修整を受けつつも)今 にいたるまで使われ続けているという事実は多くを物語る。それは、 世界観や信念とは別に、彼らの「方法」が一般ユーザーにとって役 に立ったという単純な事実を指し示している。

 生物分類学は18世紀のリンネをもって確立したとされている。しかし、分類という行為そのものはリンネとは何の関係もなくはる昔からヒトが実践してきた。ここでは、科学的分類学が登場する 以前の分類学を民俗分類学と呼ぶことにしよう。よ り正確に言えば、リンネは彼に先立つ先人の博物学者たちが生物分 類のために用いてきた民俗分類の方法論(種 species などの分類群と階級 の概念および命名の具体的手順)を受け継いで発展させたと言うべきだ ろう。さらに、この民俗分類の精神はヒトが万物に対 して発揮する衝動であり、対象となるオブジェクトは生物のみに限 定される必然性はない。あらゆるオブジェクトが原初的な分類の対 象とをり得る。

■民俗分類を形成する環世界

 かつてエクスキュルリは、生物とそれを取り巻 く外界とが複合的に構成する世界を「環世界」と名づけた。 「分類する人」と「分類される物」がともに構成する世界もまたヒ トにとってのひとつの「環世界」である。生物分類や図書分類に最 終解決がないとするならば、それは分類という営為が「分類される 物」の側の特徴だけでなく「分類する人」の側の認知カテゴリー特 性をも必然的に含まざるをえないからである。切り分けられた「群」 が自然の中に実在するのか、それとも単にわれわれヒトが心理的に カテゴライズしているだけなのか。この間題はヒトが生物・非生物 を問わず外界の事物をどのように理解してきたのかというもっと大 きな疑問をふたたび浮かび上がらせることになる。

 環世界とは、すべての人間が共有する自然観・世界観である。たとえ、分類に関する教育をいっさい受けなかったとして も、われわれは身のまわりの事物を生まれながらにして分類するこ とができる。環世界の中でわれわれがもつこのような生得的な能力 は、いわば生きていくうえでの「不文律」であり、たとえ明文化さ れていなかったとしても、われわれはそれに逆らって生きていくこ とはできない。オブジュクトを分類する方法論もまたその不文律を 暗黙の仮定としている。

 では、ここでいう分類の「不文律」とはどのようなものだろうか。たとえば、世界中の先住民社会における民俗生物分類を研究してき たブレント・バーリンは、通文化的な民俗分類の特徴として、下記 の点を列挙している。

l)階層的に分類する 

2)属(genus)の総数は600群を超えない 

3)属ごとの種(species)の総数は7以下である

 全世界的な比較研究から浮かび上がってくるこれらの共通特徴は、けっきょくわれわれヒトはオブジェクト多様性を体系化するだけの記憶容量を十分に備えていないことに起因する、いくつかの内的制約をもつことを示唆している。非階層的ネットワークではなく階層的ツリーが原則であるという制約により、階層的に配置された入れ子の群構造は記憶を節約することができる。そして、分類群(属や種)の総数に対する上限の存在はある時点で記憶可能なアイテムの個数には限界があることにほかならない。おそらくは、このような民俗分類の「不文律」を暗黙のうちに満足する分類体系の中に「自然分類(naturalcla5Sincation)」なるものが見出されるにちがいない。

 系統樹をはじめさまざまなタイプのダイアグラムはもともと情報整理と知識獲得のためのツールとして、中世以降、現在にいたるまで連綿として使われ続けてきた。「文」と「絵」の中間に位置する模式的な「ダイアグラム」のもつ積極的意義については、最近になって再評価されつつある。「ダイアグラム的転回(diagrammatic turn)という表現が使われるようになってきた。

 文学史研究における図的思考を考察したフランコ・モレソティは、ダーウィンがなぜ「系統樹」ではなく「ダイアグラム」と呼び、種の起源の唯一の図版とし て「かけがえがない」と版元ジョン・マレーに強調したのかを考察している。上で述べたように、ダイアグラムは単なる絵ではなく、知識を得るためのツールだったのだ。

 本書のもくろみは、系統樹は単に生物進化の図ではなく、歴史的・ 思想的にもっと深いルーツをもつ図像であることを、古今東西のさ まざまな実例を見せながら示すことにある。系統がおりなす宇宙すなわち「系統樹曼荼羅」は、それを支えてきた人間たちの思考様式と宇宙観を垣間見せてくれるだろう。

■現代の「ダイアグラム」例

ダイアグラム(diagram)とは、情報を2次元幾何学モデルで視覚化した象徴的表現である。3次元の2次元への投影による視覚化も含む。関数などのそれはグラフと呼ぶ。