事実は必ず取り戻す

■ウソつき攻略法・事実は必ず取り戻す

 人物な手法が目立つようになつた。その帰結が、安倍首相や閣僚たちの乱暴かつ軽薄な言葉の数々だろう。「安倍首相の答弁は『飛び石』的な特徴がある。論理的に言葉を積み重ねて体系的に説明するのはあまり得意ではなく、個々の事象について自分なりの正当性を強い口調で主張する。自身の思いの強さゆえ、繰り返し何度も断定表現を使うので、強い口調なのに言葉が軽いというケインフレ状態〟になっている」(都築氏)怖いのは国民の慣れ 森友学園問題での「私や妻が関係していたら総理大臣も国会議員もやめる」が代表的だが、安倍首相の答弁は「間違いなく」「必ず」「一度も」など過度の強調や断定が多い

 「すべての国民が安倍政権のウソに鈍感になっているとは思わない。講演などで地方に行って話を聞くと、良識のある国民は多くいます。自民党自体もまだ腐りきってはいない。自民党内から自浄作用が働き、国民は選挙でウソをついた政治家を落とすことができるか。ここが 『ウソだらけの政治』から抜け出す第一歩でしょう」 (藤井氏)

 私たちは、為政者がどんを言葉で、何をごまかそうとしているのか、今まで以上に注視していかねばならない。フェイクは絶対見逃さない虚偽を見抜き駆逐あきらめない「バスターズ」ウソを暴き追及するのは大変な労力だ。SNSの伝播力の前にくずおれることもある。それでも立ち向かう人たちがいる。編集部 高橋有紀・楊井人文さんファクトチェック・イニシアティブ理事長報道の真偽検証し発表し2017年の流行語にもなったフェイクニュース。

 「非常に根深いものです。教育を考えるとわかりやすい。戦前戦中は、国体を過剰に権威化して国民を従わせていました。戦後は、その反省から平和教育が行われたと語られていますが、教師に黙って従わせるという権威主義教育の本質は変わっていなかったといえます」

 例えば、中学や高校の校則がそうだ。髪形や服装に関する校則について、目的は合理的に説明されないが、決まりへの服従は求められる。「内申書に何を書かれるか不安なので、黙って従う。権威に刃向かうのは損だという構図に慣れてきたのです」

 権威に従うことには魅力的な面もある。自由や独立には、不安や孤独もつきまとう。山崎さんが注目するのは、手放した自由と引き換えに得られる、帰属する社会や共同体との「絆」だ。2011年の東日本大震災以降、人々から積極的に「絆」が語られるようになった。「不安は権威主義が入り込む際です。将来が不透明で、少子高齢化が進み、不安の種は尽きない。それが最近特に権威主義が進んだ理由だと思います」

■国のビジョンを失った

 哲学者の内田樹さんは現状をこう分析する。

 「Honesty pays  in the long run.というように、正直は長い日で見て引き合うもの。短期的に見れば、ウソはその場をしのぐことができる現政権を見ていると、3日や1週間というタームで、説明が事実でないと明らかになる。国家100年の計ならば、膿を出し切り真相を解明するのが適正ですが、次の選挙を考えれば、真相解明を遅らせ、水掛け論に徹したほうが有利です」

 つまり、「損得の判断基準が短くなつた」。社会全体が株式会社化し、5、6年先の見通ししか求めていない。国立大学ですら、6年程度の中期計画しか要求されない現状がある。「背景には、日本が国としてのビジョンを失ったことがあるでしょう

 高度経済成長期は戦後の復興と再生が、小泉政権時代は国際社会で政治大国を目指す、というプランがあった。が、バブル崩壊後、経済は低迷し、国連の常任理事国入りはかなわず、第1次安倍政権が始まる前の05年頃には完全に展望を失った

 「対米従属をして、対米自立を果たすことも失敗に終わった。目的が失われ手段だけが残り、目的なく従属する米国のイエスマンとして、20年近く漂流している。国のかたちと国民の生き方は同期せざるを得ません。上意下達圧力に抵抗できず、長いものには巻かれろという諦めが日本社会に蔓延しているように思います

■ウソを放置していいか

 では、人々は現状をどう捉えているのか。 朝日新聞の5月の世論調査では、加計問題の「疑惑が晴れた」と考えているのは6%に過ぎず、「疑惑は晴れていない」が83%、政権がモリカケ問題に「適切に対応していない」と回答した人は75%に上る。対して、安倍内閣の支持率は36%、支持しないと答えたのは44%だ。「説明に納得せず、虚偽だと考える人が多いのに、支持率は30%を切らず、一時的に落ちても回復する。政権の強弁を信じる人も、ウソだと思っても許す人もいるということでしょう」

 名古屋大学大学院准教授の日比嘉高さんは、次々と生み出される政治のウソが及ぼす影響をこう語る。「米メディアでは、トランプ政権のふるまいを分析する中で、『ガスライティング』という言葉が使われています。映画『ガス燈』に由来する言葉で、繰り返しウソをつき騙すなどして、知覚や記憶を否定することにより、対象の正気を失わせ操作できるようにすることを指します」

 ワシントン・ポストやブルームバーグ・ビューでは、下記のようにも分析された。組織では、上司にウソを強要されることにょり、部下は上司への依存度を深める。ウソはある種の踏み絵で、判断能力の放棄であり、支配者への依存の始まりである

 「ハンナ・アーレントは『全体主義の起原』(1951年)で、独裁的権力がプロパガンダにおいてどうウソを利用するかなぜ大衆が支持するかを分析し、ウソを信じることも、シニカルにやり過ごすことも、全体主義指導者のプロパガンダを成功させたと指摘しました。つまり、虚偽を信じることも、放置することも、全体主義を後押ししてしまうのです」

■「ご飯論法」でごまかす

 前川さんも、現政権の先行きを危惧している。「政権はプロパガンダがうまい。仮想敵を作り、国民を操作できると考えている節があります。対抗するためには学ぶほかありません。政策が本当に自分たちのためなのか、気づいてほしい。税制は、1%の金持ちを優遇するためのものではないか。自分たちの権利が不当に扱われていないかを知るべきです」

 今国会での成立した働き方改革関連法は、労働規制を緩和する「高度プロフェッショナル制度(高プロ)」が最大の焦点だった。長時間労働の是正が前面に出される一方、高プロは使用者に対する労働時間規制をはずすものだ。裁量労働制のデータ偽造を指摘してきた法政大学教授の上西充子さんは言う。

 「働き方改革、高度プロフェッショナル制度という言葉に誤解があると考えています。多くの人は『働き方を改革して、長時間労働がなくなる』『専門性の高い職種に適した仕組みだろう』と捉え、内容を精査しない。高プロの実態は、実労働時間を客観的に把握しなくてもよい制度であり、過労死を促進しかねないメリットを享受するのは、労働者ではなく、経営者です。この点を十分に議論する必要がありました」

 厚生労働委員会で与野党の攻防が繰り広げられたが、内容は「まったく十分ではなかった」と上西さんは指摘する。

 「政府は質問に答えず、論点をずらすことに終始していました。ところが、テレビや新聞で大きく報じられず、不誠実な答弁の動画がネットにアップされても多くの人は見ない。言論が冒涜される現場を知ってほしい」

 上西さんは、加藤勝信厚労大臣の追及をかわしていく手法を、下記のように例えた。

 朝ごはんは食べなかったんですか?「ご飯は食べませんでした(パンは食べましたが、それは黙っておきます)」何も食べなかったんですね?「何も、と聞かれましても、どこまでを食事の範囲に入れるかは、必ずしも明確ではありませんので」では、何か食べたんですか?「お尋ねの趣旨Hが必ずしもわかりませんが、一般論で申し上げますと、朝食をとる、というのは健康のために大切であります」

 上西さんのこうしたツイートには、「ご飯論法」と名前がつき、ハッシュタグで拡散された。緻密なデータも、膨大なテキストも、自身で発信している。それでも届かない多くの層へ、「本当にこのままでいいのか」と投げかけた一石だ。

■ウソを指摘し続ける

 事実と虚偽が並んだとき、事実をどう見定めればよいのか。番町法律事務所の菊地幸夫弁護士は、日大アメフト問題を例にとり、こう解説する。「両者の説明が食い違った場合、事実説明が詳細で、筋が通っているか、虚偽の説明を行う動機はあるか。指導者側は、加害選手の会見内容の大筋は認めながら、一部を否定するという形での反論でした。私の主観ですが、両者の見解を突き合わせただけで、選手の言い分が事実に近いのでは、という推論が働きます

 前監督・前コーチらの言い分は、関東学生連盟により虚偽と認定され、アメフト部員たちが「指示に盲目的に従ってきた」と、反省の声明を発信した。捜査機関による捜査や第三者委員会の調査結果は選手たちのファクトな意見と同じであった。。

 菊地弁護士は、「情報発信が容易で、気軽に動画を残せる現代でなければ、握りつぶされていたかもしれない事案」と指摘する。証言や証拠を精査すれば、事実を認定することは、以前よりはたやすくなったはずなのだ。一方で、人々が触れる情報には別の大きな変化もある。SNSの発信力が高まりフェイクニュースも横行している。「ポスト真実という点で、日本は世界の最先進国」と、ジャーナリストの津田大介さんは言う。

 「米大統領選でのフェイクニュースの母胎となつたのは、4Chanという巨大匿名掲示板でした。日本では、以前から2Chに代表される匿名掲示板文化があり、まとめサイト文化を生み、スマホ、SNS時代になって、世論への影響力を増しています

 メディアが見出しを中心にななめ読みされる、という状態は今も昔も変わらない。しかし、現代は「シェア」があり、拡散された情報は真贋にかかわらず影響力を持つ。

 事実と論理は、あらゆる学問や言論の礎となるものだ。

 「誤謬を発信するサイトは、閲覧により広告収益を得ている場合も、工作として行っている場合もあります。構造を理解し、ウソを指摘し続け、ファクトで対抗し、中間層の説得を続けるほかないと考えています」