憲法改正問題

■憲法改正問題

 2012年に憲法全体の改憲案を示した自民党は、これとは別に、個々の改憲案として、

[1]合区の解消、

[2]任期切れ散中の大災害時における国会議員の任期延長

を、党内でまとめていました。それに加えて昨年5月、安倍首相は、

[3]自衛隊の存在、

[4]教育の無償化について

 2020年の東京オリンピック開催までに憲法に明記することを宣言しました。公明党は、環境権と自衛隊の加憲を従来から検討していますが、提案にまとめる動きは今のところなく、むしろ10月の総選挙で議席を減らしたことからか、改憲には慎重な姿勢を示し始めています。日本維新の会は、教育の無償化のほか、

[5]統治機構改革(地域主権)、

[6]憲法裁判所の設置

を掲げています。

 その後、安倍首相自身の不誠実な答弁態度や森友・加計疑惑、資質を疑う閣僚答弁などから、国政への影響の強い東京都議会議員選挙で自民党は惨敗しましたが、10月の衆院選では自公で3分の2を維持し、改憲の発議に必要な議席数を保持しています。
ただ、憲法改正権は、国会議員ではなく国民にあります。各党の議員が、世論から離れて上から目線で改憲案を発議するのは、憲法の建前と相容れません。憲法改正権が国民にある以上は、まず、世論が改憲の必要性を議論し、それを受けて国会議員が発議し、最後に国民投票で確定させる。それが改憲のあるべき姿です。

 昨年7月に行ったNHKの世論調査によれば、改憲に関する安倍総理の考えについて「大いに評価する」が8%、「ある程度評価する」が28%なのに対し、「あまり評価しない」が31%、「まったく評価しない」が20%でした。改憲が議員の責務であるかのような発想、ひいては、行政権のトップにある、その意味で最も強い権力を行使できる内閣総理大臣が、期限を区切って発議のスケジュールを示すことは、明確な憲法尊重擁護義務違反なのです(99条)。

▶︎憲法明記による危険性

(1) 自衛隊違憲論の立憲主義的意義が消失

安倍首相は、自衛隊への国民の信頼が9割を超えると主張します。しかし、この信頼はあくまで、災害救助隊としての自衛隊への信頼です。武装集団としての自衛隊とは区別しなければなりません。武装集団としての自衛隊に対しては、従来から9条2項が禁止する「戦力」にあたるとする違憲論が有力でした。憲法は、武装集団としての自衛隊に正面から正統性を与えていないのです。

 この自衛隊違憲論には、立憲主義的意義があります。
憲法で権力を統制しようとするのが立憲主義です。そして、武装集団としての自衛隊に正統性を与えないことは、それが違憲かもしれないと国民から指摘を受けることによって、9条の外の存在として、自衛隊に緊張感を与えてきました。常に、自衛のためか、必要最小限度かが問われ続けてきたのです。そうすることで、戦前のような武力侵略や軍事優先の政策、ひいてはそういう社会的ムードの醸成や反戦思想の取締りへの歯止めとなり、自由な社会の下支えをしてきました。こうして、9条と矛盾するように見える自衛隊を統制してきたのが自衛隊違憲論なのです。すなわち、憲法は、自衛隊を憲法に書かないことにより、武装集団を統制してきたのです。自衛隊違憲論には、そのような立憲的意味があるのです。
逆にもし、自衛隊を疑いもなく合憲とし、緊張関係をなくしてしまえば、国がより自由に自衛隊を利用できるようなります自衛隊の憲法明記にはそのようなねらいがあるとみてよいでしょう。

自衛隊違憲論によって自衛隊を統制するこのような立場に対しては、自衛隊を憲法に明記したうえで、それを国会などが民主的に統制してはどうかという意見もあります。たとえば、自民党内でも、自衛隊の憲法明記とともに、その行動を国会の承認その他の民主的統制に服することを憲法に定めて統制する案が議論されています。
しかし、国会等による統制は、その実効性に疑問があります。現状の国会審議をみれば、秘密保護法によって情報が統制され、また文書の隠蔽、廃棄、改ざんのおそれが日常化しつつあります。さらに、官邸が選挙における党の公認権をたてに与党議員による異論を封じることが常態化しています。このような現状に照らせば、自衛隊の行動を国会が統制することは幻想と言わざるを得ません

(2) 9条2項の空文化

 新条項が定められれば、戦力の不保持・交戦権の否認を定めた9条2項を空文化、すなわち無意味にさせます。新条項は、9条2項の例外として挿入されるので、2項が自衛隊に及ばないことになるからです。たしかに、「我が国を防衛するための必要最小限度」という部分は、戦力拡大に歯止めをかけるかに見えます。しかし、その言葉はいかにも曖昧です。どこの国でも、軍隊は防衛のため必要最小限度なのであり、いったん憲法に定められれば、普通の軍隊をもつのと変わりなく、まさに戦力の保持を認めることになります。現行憲法では、集団的自衛権は認められていませんが、我が国の防衛には必要ということで、無限定の集団的自衛権の行使も認められます

(3) 社会の軍国主義化

自衛隊が憲法に明記されたということは、国民投票で過半数の賛成があったということ、すなわち、日本国民が自衛隊という軍隊に民主的正統性を与えたことになります。これを受けて政府は、そのような国民の期待に応え、軍隊をしっかりしたものにするために、自衛隊の活動範囲を広げ、防衛費を増やし、軍需産業を育成し、武器輸出を推進し、自衛官の募集を強化し、国防意識を教育現場で強制し、大学等の研究機関に対して学問技術の協力を要請するなど、高度国防国家へと進むでしょう小中高の教室で制服を着た自衛官が国防や安全保障の授業をしたり、Jアラートがなったときの避難訓練を自衛官が指導したりするようにもなるでしょう。制服を着た自衛官が町中を闊歩する社になります。このような自衛隊の強化は、まさに国民の期待に応えたものだとされ、こうした事態を誰も批判することができなくなる怖れがあります。批判する人を非国民呼ばわりする風潮も出てくることでしょう。まさに、軍国主義社会に傾斜していくのです。

自衛隊明記の改憲が、外国にどう受け止められるかも考えておく必要があります(負の宣言的効果)。すなわち、自衛隊明記により、日本は憲法改正して「軍隊」を持ったと認識されます。そのことが、中国や韓国などの近隣アジア諸国、イスラム諸国からどう見られるのでしょうか。日本が内外ともに、軍隊を持つ普通の国防国家となってしまうでしょう。しかし、私には、「平和国家」というブランドをそんなに簡単に放棄していいとも、国民にそのような覚悟が本当にあるとも思えないのです。

(4) 国防目的の人権制約

さらにそれにより、人権が国防目的で容易に制約されるようになるでしょう。新条項には「わが国を防衛するため」、すなわち国防という言葉が使われています。現行憲法は、議論はありますが「公共の福祉」による人権制約を認めています。ただ「公共の福祉」という言葉は曖昧なので、人権を制約する際には、その内容を具体的に明らかにしなければなりません。ですから、現状の平和主義憲法の下では、そこに「国防」を容れて理解することは困難です。

ところが、新条項は「国防」という概念を憲法で明記し、大切なものと認めています。その結果、「国防」の名のもとに、思想が統制され、言いたいことが言えず、学問研究や宗教も国防の犠牲になり、国防のために逮捕・勾留される…そういう自由が抑圧される国へと向かうでしょう。

象徴的には徴兵制が可能になります。これまでは「意に反する苦役を禁じる憲法18条違反として徴兵制は違憲と解釈されていましたが、国防が憲法上の要請となると、国防のためにこの18条の人権も制限することが許されることになります

■最後に

 こうしてみると、新条項の狙いは、要するに、安保法(戦争法)の違憲の疑いをなくし、世界で自由に自衛隊を実質的な軍隊として使えるようにすることです。
しかしこのようにして、憲法の非暴力平和主義の理想を捨て去ってしまってよいのでしょうか。自衛隊を明記した後のことについて、想像力を働かせる必要があります。
改憲に賛成する政治家たちは、「何も変わりません。現状のままです」と、改憲への国民の戸惑いをぬぐい去るための「お試し改憲」のように言うかもしれません。しかし、新条項は、先に見たように自衛隊という名の軍隊をもてるようにするものであり、9条の実質的な全面廃止であって、お試し改憲などではありません。その意味で、現状を変えないニュアンスの「加憲」という表現は適切ではありません。災害救助で頑張っている自衛隊がかわいそうという感情論に流されてはならないのです。